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2007年9月4日(火)〜9月17日(月)

Rシネマ 『オッペケペ』

 

【企画】観世榮夫

【作】福田善之(作者自身による2007年改訂版)

【演出】流山児祥

 『オッペケペ節』

 予約御案内

    流山児★事務所チケット オンラインサービス

電話予約: 070-5565-7729 (劇団PHS)

公演直前、メール予約 (24時間、前日まで承ります)

 

公演日程




    
 2007年9月4日(火)〜17日(月)

 
9月 4日 5日 6日 7日 8日 9日 10日 11日 12日 13日 14日 15日 16日 17日
  (火) (水) (木) (金) (土) (日) (月) (火) (水) (木) (金) (土) (日) (月)
14:00   P      
19:00 P              
P=プレビュー   ☆=アフター・トークあり(演出家&出演者&ゲストによる)

開場は開演の30分前。  当日券の発売は開演の1時間前より。

 

 
会場

 

     ベニサン・ピット 江東区新大橋2-17-12 



都営新宿線・都営大江戸線 森下駅下車

A2出口から徒歩7分:階段上がって右へ、一つ目の信号のある交差点の角を右へ、信号のある交差点(新大橋2丁目北)を渡って、次の角を左に入ったところが劇場入口です。

  ※ チラシにあります「まごころ弁当」は現在取り壊されてしまいました。一つ目の信号の目印は曲がってすぐのところにあるクリーニング屋さんです。
 

A5出口から徒歩7分:階段上がって、清澄通りを右へ、信号のある交差点(千歳3丁目)を左へ、わかき歯科を右へ、次の角を左に入ったところが劇場入口です。
JR 総武線 両国駅下車 両国駅西口より徒歩15分

 

 
チケット

    全席指定   前売り:4,800円 当日:5,000円  *学生割引:3,500円 *プレビュー割引:4,000円
  ※学生割引、プレビュー割引のチケットは流山児★事務所のみの予約
 

    【取り扱い】

公演直前、メール予約 (24時間、前日まで承ります)

流山児★事務所オンラインチケットサービス(4日前まで)

 

電子チケットぴあ  0570-02-9966(Pコード377-481) 0570-02-9988(演劇専用)

ローソンチケット0570-084-003(Lコード37952) 0570-000-407
イープラス
CNプレイガイド 0570-08-9999
 
【予約・お問い合せ】 流山児★事務所 TEL:03-5272-1785 PHS:070-5565-7729



出演

河原崎國太郎(劇団前進座) 町田マリー(毛皮族) 塩野谷正幸
さとうこうじ 保村大和 奈佐健臣(快飛行家スミス) 沖田乱 加地竜也 伊藤弘子 栗原茂 上田和弘 里美和彦
冨澤力 柏倉太郎 木暮拓矢 阪本篤 坂井香奈美 武田智弘 石井澄 諏訪創 熊谷清正 阿萬由美

寺島威志 杉野俊太郎 日下範子

 

STAFF

        【音楽】本田実 【美術】水谷雄司(王様美術) 【照明】沖野隆一(RYU CONNECTION) 【音響】島猛(ステージオフィス)

【振付】北村真実 【殺陣】岡本隆 【映像】濱島将裕 【舞台監督】吉木均 【衣裳】大野典子 【演出助手】畝部七歩
【宣伝美術】アマノテンガイ 【制作】岡島哲也 青山恵理子 米山恭子
【協力】劇団前進座、藤プロダクション、大沢事務所、フレンドスリー、毛皮族 【Special thanks】荻原達子
【制作協力】ネルケプランニング
【主催】流山児★事務所
平成19年度文化庁芸術創造活動重点支援事業

 

 

【壮士劇を演じる新劇団という趣向の、虚実交えた福田善之の傑作群像劇!】
緋の陣羽織で、自由民権を時の権力風刺と共にうたって一世を風靡した川上音二郎の「オッペケペ節」。戯曲『オッペケペ』は川上音二郎や貞奴、伊藤博文、幸徳秋水と言った人物を想起させるが、実録モノではなく作者のオリジナルな人物像で書かれた60年安保闘争時の敗北と挫折を活写した名作『真田風雲録』と並ぶ福田善之の傑作群像劇。
自由、民権といった志で始まった「壮士劇」が、権力にとりまかれ「戦争高揚劇」へと至る流れを、様々な役者や政治家の思惑、男女の恋模様も交えて描く歴史群像劇。「壮士劇を上演する劇団の舞台稽古」という多重劇(メタ・シアター)構造で福田善之が「自由とは何か」を問う戦後演劇の代表作。原戯曲では「演出家」が登場するという構造を、2007年版は「作家」が登場して『オッペケペ』の世界を語るという改訂版上演となる。
 

【観世榮夫「新劇」セレクション】

能楽師にして日本演劇の偉大なる先達である演出家:観世榮夫氏と、流山児★事務所による「新劇を《現代劇》として読み直す」試みとして企画される。
1963年に福田善之氏が劇団新人会のために書き下ろした『オッペケペ』。明治時代に「近代演劇」に挑んだ演劇の冒険児たちの生きざまを描いた魅力的な戯曲を、当時演出を担当した観世榮夫氏が福田善之氏と共に台本を再構成。
観世榮夫氏の現場での演出は叶わなくなったが、氏の演出意図を踏まえ、その意志を継承発展させるべく、流山児祥による新演出となる。
「演劇の力」が今こそ試される!

企画:観世榮夫 (かんぜ ひでお)
東京生まれ。享年79歳、能楽師、俳優、演出家。
能の名門・観世銕之丞家に生まれる。3歳で初舞台をふみ能の道を歩む。観世流の家に生まれながら喜多流のメソッドを学びたいと22歳の時に転流。1958年に能楽協会を脱退、1960年に福田善之と共に劇団青年芸術劇場(青芸)に参加、演劇やオペラの演出家、俳優として活躍する。1979年に能界復帰。古典はもちろん、絶えている能の復曲や創作能、国内外での能公演やシンポジウム、他ジャンルの演出・出演と多彩な活動を行った。流山児★事務所には2001年 『書を捨てよ、町へ出よう〜花札伝綺』新宿花園神社野外劇公演から『殺人狂時代』『青ひげ公の城』『続・殺人狂時代』『無頼漢』『オールド・バンチ(映像出演)』と、ほぼ年1本のペースで出演。
芸術選奨文部大臣賞、勲四等瑞宝章、毎日芸術賞、坪内逍遥賞、など多数受賞。
作:福田善之 (ふくだ よしゆき)
1931年東京生まれ。76歳、劇作家、演出家。東京大学文学部仏文科卒業。新聞記者、劇作家木下順二、演出家岡倉士朗に師事、演出助手を経て、劇団青年芸術劇場(青芸)に参加。併行して戯曲を発表。『長い墓標の列』『遠くまで行くんだ』『真田風雲録』『オッペケペ』『袴垂れはどこだ』などの戦後演劇を代表する秀作戯曲を発表し、60年代演劇の旗手として注目される。その後は新劇にとどまらず、商業演劇、ミュージカル『ピーターパン』などの劇作・演出家として幅広く活躍。ほかに映画シナリオやテレビ・ラジオドラマの執筆も多数。1994年『壁の中の妖精』ほかで、紀伊國屋演劇賞・個人賞を、『私の下町−母の写真』で読売文学賞を受賞。1999年『壁の中の妖精』の演出で読売演劇賞優秀演出家賞を受賞。2000年『壁の中の妖精』の戯曲で斉田喬戯曲賞を受賞。2006年日本シナリオ作家協会シナリオ功労賞受賞。流山児★事務所には1996年に流山児祥演出150本記念公演『焼跡のマクベス』(脚本:山元清多 主演:渡辺美佐子)に原作『焼跡の女侠』を提供。

 

ありがとう、観世榮夫さん

観世榮夫さんが亡くなった。福田善之さんが観世さんとの久しぶりの共同作業を楽しみに書き上げてくれた9月公演『オッペケペ』の改訂台本を目の前において共同演出家の私は今途方にくれている。2001年夏、新宿花園神社で上演した 野外劇『書を捨てよ、町へ出よう〜花札伝綺』に出演してもらって以来6年間、観世さんは私たちのような若輩者と気楽に付き合ってくれた。『殺人狂時代』『青ひげ公の城』『続・殺人狂時代』『無頼漢』と立て続けに出演しその圧倒的な存在感を舞台で見せてくれた。ベニサン・スタジオの稽古場も近くの酒場も常に観世榮夫演劇教室であった。観世榮夫という舞台芸術のさまざまなフィールドを越境して生きてきた80年近い破天荒な芝居=人生の「生きざま」=体験談を聞ける私たちはまさに果報者であった。大腸がんという大病と闘いながら実に飄々と先生は芝居を人生を楽しんでおられた。観世さんのマネージャーであり能楽のプロデューサーでもあった荻原達子さんと一緒に観世榮夫「新劇」セレクションと「近代劇」セレクションという企画を2006年に立ち上げた。観世さんが関わってきた50〜60年代新劇と観世さんがセレクトした「近代劇」の戯曲をリーディング上演しアーカイブスとして残していこうという企画。観世氏の「現代演劇」に対する遺言的仕事をやろうという企画であった。早稲田大学の演劇博物館と日本演出者協会の協力でこの夏にでも動き出す予定であった。流山児★事務所の観世榮夫「新劇」セレクションは『オッペケペ』を第一弾に『象』『魔女伝説』といった観世演出作品の検証をやろうという、私たちにとって初の「新劇」のテキストとの格闘になる予定であった。1963年新人会によって初演された新劇の名作と呼ばれる『オッペケペ』の44年ぶりの上演に対して観世さんは燃えていた。事故の1週間前、新宿での打ち合わせに現れた観世さんは急激に痩せ歩行困難なほどに病気が進行していた。稽古初期は私がやりますからというと「いや!『オッペケペ節』のワークショップを7月から始めよう!太鼓も俺がたたく!」とまで言い出すほどの張り切りよう。1963年初演のガリ版刷りの黄ばんだ台本を見せてもらい先生の作品に対する思い入れの深さに圧倒された。5月の不幸な事故、そして一か月後の訃報。運命の残酷さに歯軋りする思いである。残された私たちに出来ることはお二人の「演劇に対する熱い想い」をきちんと舞台にのせることである。44年前、演劇は若く社会に対して身もだえしながら異議申し立てしていた。その真情あふれる観世榮夫さんの演劇への「愛」を真摯に受け止め《現在》の『オッペケペ』を私たちの総力を挙げて作り上げるつもりである。ありがとう、そしてさようなら、観世榮夫さん。ゆっくり休んでください。

流山児祥