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舞台写真
なぜ、国家には旗がありながらぼく自身には旗がないのだろう? 戦後の焼け跡の若者たちの反抗を描く青春ドラマ。様々な異議申し立てが噴出した60年代後半の小劇場運動の《原点》がここにある。演劇における社会性、実験性、集団性、変革への希求を浮かび上がらせる。この作品はいわゆる「新劇」の変形であり、演劇への疑いを指し示す世界の鬼才=テラヤマの「演劇と革命」のバイブルである。寺山修司没後25年に流山児★事務所が放つテラヤマ・プロジェクト第1弾。
2008年2月1日(金)〜11日(月)
※当日券は開演の1時間前より発売、開場は30分前※公演は終了致しました。ご来場ありがとうございました。
【会場】新宿 SPACE雑遊
162-0022東京都新宿区新宿3-8-8 新宿O・TビルB1F TEL 090-8846-5379
地下鉄都営新宿線新宿三丁目駅C5出口前
【チケット】 全席自由(入場整理番号つき) 前売り・予約:3,000円 当日:3,500円 学生割引:2,500円
半券割引あり 池林房で半券を提示すると、飲食代がご本人様に限り¥500引き*現金払いのみ
【チケットの取り扱い】
電子チケットぴあ pia.jp/t TEL 0570-02-9999(Pコード381−313)
ローソンチケット TEL 0570-084-003(Lコード33324) 0570-000-407(オペレーター)
イープラス [プレオーダー] 07/11/24(土)〜07/11/27(火)
『血は立ったまま眠っている』について(角川文庫解説より) 寺山修司
『血は立ったまま眠っている』は、私の処女戯曲であり、1960年に「文学界」に発表され、浅利慶太の演出で、劇団四季によって初演された。「一本の樹の中にも流れている血があるそこでは血は立ったまま眠っている」というみじかい私自身の詩から発想されたこの戯曲は、60年安保闘争との関係を省いて語ることは難しい。私のなかにはその頃から、「政治的な解放は、所詮部分的な解放に過ぎないのだ」という苛立ちがあり、そこがこの戯曲をつらぬく一つの政治不信となって現れている。もちろん、処女戯曲だけに、言葉ばかりがあふれ出し、劇であることよりは集団朗読的な様相を呈している。要するにこの戯曲ははじめから「文学」をめざしており、そのことが決定的な弱点となっている。それでも、23歳という若年で書かれたこの戯曲に、私が愛着をもっているのは、この戯曲の中にその後の私の演劇のあらゆる要素が萌芽しているからである。 とくに、第三幕におけるストーリーの崩壊、人物仮面の剥離、素明かりによる虚構の異化、そして挿入される歌、雑誌記事、天気予報などのコラージュ的手法は、天井桟敷の演劇へそのまま引き継がれていったのである。
【振付】北村真実 【美術】水谷雄司
【照明】金英秀 【音響】松本昭 【舞台監督】井村昂
【協力】九條今日子 太田篤哉(SPACE雑遊/池林房 オーナー)エビス大黒舎
【宣伝写真】アライテツヤ 【宣伝美術】Flyer-ya 【制作】米山恭子
【主催】社団法人日本劇団協議会 次世代を担う演劇人育成公演
平成19年度文化庁芸術団体人材育成支援事業
【製作】流山児★事務所