最後から二番目の邪魔物
舞台風景と劇評




不条理と妄想で現代を映す
(朝日新聞夕刊 3月29日)

 悪夢を見ている人の頭の中をのぞいたら、こんな風景が見えるのだろうか。名古屋を拠点に活躍する佃典彦(作)、天野天街(演出)コンビによる流山児★事務所公演「最後から二番目の邪魔物」は、不条理な猥雑さに満ちた妄想ドラマだ。

 6畳一間のアパートに閉じこもり、紙相撲にふけるキムラ(若杉宏二)。歯の痛みと、のぞきのための望遠カメラだけが、現実との接点だ。そこに怪しげな男たちが次々と現れ、キムラを糾弾し始める。

 離婚した妻の現在の恋人(水谷ノブ)、宗教団体のメンバー(栗原茂)、パジャマ姿の中年(流山児祥)、臨床心理士(さとうこうじ)とその見習い(稲増文)……。いずれもキムラと名乗る男たちは、主人公が作り出した分身に見える。とすれば、唐突に変えながら暴力的に続く押し問答は、終わりのない自問自答にほかならない。

 社会への言葉を封印した男が、内面で繰り広げる過剰な冗舌。佃はそれを乾いた筆致で戯画化する。主人公の人物像がいま一つ明確にならないし、力任せの粗っぽさも目に付く。だが、他者とのコミュニケーションや距離の取り方を見失いがちな現代の、ある種居心地の悪い空気は、確かに映し出している。

 シュールな舞台作りを得意とする天野の、遊びたっぶりの演出がそれを強調する。20人近い裸の力士たちが懐メロに合せて踊る幕開きはまさに不条理の極み。妄想の世界へ一瞬にして観客を連れ込む力業だ。時折挟み込まれる、ノイズ感の強い映像も観客を挑発する。

 俳優たちの無頼な演技と合せて、かつてのアングラの空気が色濃く漂う“怪作”だ。(今村 修)