3月19日(日)晴れ。
1演目目の『人形の家』を終え、翌朝9時から再び仕込み。全員きびきびと働いている。
中国の演劇人に驚かれるのは「役者が全員スタッフを兼ねている」こと。海外公演に参加しているうちの役者達は、全員スタッフとしても一流。演劇を「総合芸術として考えられる人間」を育成するのが「劇団」の使命である。35年間この劇団システムで一流の演劇人を養成していると私は自負している。これは日本演劇が世界に誇るべきシステムである。
経済活動に関心の強い中国では取材に来る記者達から「安く上げるために俳優がスタッフを兼任しているのか?」と何度も聞かれた。断じて「NO」!金の問題ではない。渡航初日より、記者達から金銭関係の質問ばかりが多いのに辟易していたのだが、徐々にその謎が解けてきた。実はこれが今回の売り?! だったのだ。中国側プロデューサーが「清貧」を売りに「共産主義的演出家=流山児祥」を売りにこの「流山児★フェスティバル」の宣伝を進めていたのである。前回、皆に混じって出演し、大道具を運ぶ私を見て中国の記者やカメラマンたちが驚き「共産主義的演出家:流山児祥」と報じ反響を呼んだ。それを今回の宣伝に利用したのだ。
政治問題で演劇の集客状況も簡単に左右されるのが北京。それは昨年の『盟三五大切』北京公演の時、「釣魚島」の問題が報道された当日、演劇学校関係の予約が集団で数百枚キャンセルされ、身にしみている。そして、日中関係が冷え切っている今、「日本の有名劇団来京」ではなく「日本からやってきた共産主義的=清貧劇団!!」を売り物にした・・・。聞いてないよー。
後日、日本の演劇サイトでも「節約の為、三人部屋で自炊しながら、徒歩で劇場に通う中国人もビックリの清貧劇団」などと報道されていることを知り驚いた。これは我々の渡航前に中国の新聞にもちょこちょこ載せていた宣伝文句だったらしい。ここまで来ると「事実」とは異なるのでプロデューサーに文句をいい、訂正を入れさせた。いやはや、海外公演は・・・・である。
『静かなうた』は舞台全面に砂を敷き、照明は蛍光灯、台詞は一切ない。演出家はコンテンポラリー・ダンサー=北村真実。結果的に「劇」を否定したような面白い構造の作品だ。ダンスとも、動きとも、芝居ともいえない実験的なコラボレーション作品。ただし、今流行りの脱力系ではなく実にアグレッシブで動きのあるエロティックな作品。今回は、つかこうへい劇団の振付師でもありダンサーでもある古賀豊氏に客演してもらいダイナミックさが増し、よりドラマティックになった。この作品が北京の観客にどう受け取られるか楽しみである。夕方までには客席も組まれ、解放軍歌劇院の大劇場の舞台上に200人収容の「小劇場」が現出した。
3月20日(月)晴れ。
それにしても今回の北京公演のスタッフ陣は豪華だ。『人形の家』照明:小木曽千倉、音響:島猛『静かなうた』照明:斉藤茂男、音響:島猛『ハイ・ライフ』照明:沖野隆一、音響:藤田赤目。日本のトップの舞台スタッフたちが北京に集結している。照明家が自分の芝居が終わって違うチームのシュートを手伝っている姿は実にいい、海外公演ならではの風景。
役者の里美和彦の調子が悪い。『人形の家』の公演中も顔色が最悪だった。『静かなうた』は主役。心配なので病院へ。風邪と疲労。里美抜きで明り作り。今度は木暮拓矢が仕込み中に足を打撲、研究生の堀之内啓太が過労と風邪。これで合計、4人病院行き。
夜、私は京劇観劇。湖広会館大劇楼という日本の能楽堂程度のこじんまりした劇場。字幕は英語と中国語。演目は『覇王別姫』と『孫悟空』ダイジェスト版、上演1時間15分程度。観ていて気がついた。「これから起こることを歌って」、それから今度は「歌ったことを演じる」という実にブレヒト的オペラ、あの、ブレヒトが如何に京劇から影響を受けたかがわかる。さらにアジアの演劇の身体がある種の同一性を持つことも。基本的には会話のときも「面きり=正面を向いて」演じられる。歌舞伎から唐十郎やつか芝居まである種の演技の共通性が・・・・。
3月21日(火) 晴れ。
朝、「新京報」に演劇批評家の水晶さんの詳細な『人形の家』の劇評が掲載。「北京青年報」には1ページぶち抜きの劇評。その水晶さんとロング・インタビューを兼ねてホテル近くのレストランで昼食。日本の現代演劇の現状と中国の小劇場運動へのアドバイス、日本演出者協会の仕事などを詳細に聞かれる。助成システムや人材育成、演劇教育、日本の創作劇の現在について話す。そして、結論は中国も日本同様「演劇の商品化=エンターテインメント化」が進んでいること。演劇の持つ芸術性や実験性、真の意味での大衆性、先駆性=前衛性が喪失している彼我の演劇状況の絶望的現在を如何にして止揚し、本来の豊かな「民衆=市民の演劇」を取り戻せるのかの話に。地道にあと《10年》真の中国=日本の小劇場運動の改革交流をやってみようよ、生きている限り俺も手伝うから!と同席した中国演劇界の革命児ユエン・ホンと意思一致。嗚呼、社会主義的市場経済化の下の中国小劇場運動とは?
深夜1時近くにホテルに戻るとFAXが届いていた。私が10年前から始めている地域の45歳以上の大人の演劇集団=「楽塾」の女優Tから「家庭の事情」で、次回公演に出られなくなったとの知らせに愕然。メンバーは皆、働きながら1年がかりで稽古して、仕事の休みが取れるG.W.に公演を行う。今年は4月28日から5月6日まで15ステージ『十二夜』を時代劇に改変した恒例の楽塾歌劇『楽塾版★十二夜』を上演する。Tは海賊蜂須賀鮫蔵という役を演じる予定で稽古に励んでいた。楽塾に入って8年、家庭の事情で母親としてどうしても無理なことはわかるが実に残念。
50代の人生いろんなことがある。
Tよ、来年のG・W本多劇場での10周年記念公演は必ずやろうぜ。
3月22日(水) 晴れ。
10時、ホテルのベランダを見ると悪源太義平が一人でコーヒーを飲み煙草を吸っている。
悪源太とは長い付き合いだ。1966年彼が母校の東葛飾高校の1年生、私が青山学院大学1年の頃からだから《40年》。流山児★事務所の前身の「演劇団」の旗揚げメンバーでもある。家族より長い時間をともに過ごしている文字通りの《同志》。悪源太はこの10年間強度のアルコール中毒で何度も地獄を見た男だが、今は一念発起で断酒中、この春で断酒1年半目に入る。
アチコチで解体作業が進む街並みは62年オリンピック前の東京南千住の風景を見るようだと悪源太が言う。この街は2008年に向け、更に変わり続けていくのだろう。
台詞の無い「身体オペラ」、劇団初の試みに北京の観客がどんな反応を示すか興味津々。砂漠を思わせる白一色の世界、終末の世界にも見えるし、砂漠の戦場にも見える。ユートピアを求める共同体の崩壊と再生。夢と現実、目くるめくデジャ・ヴ(既視感)の世界。蛍光灯を吊った格子が陰になりある時は収容所にも洞窟にも見えたりする。斉藤茂男さんの照明がいい!観客が最大限の劇的想像力を駆使して如何様にも、自分の《物語》を作れる作品。6時45分客入れ開始。学生席から埋まっていく、いわゆる小劇場ファン。200人を超える満員で『静かなうた』幕が開く。熱狂的なカーテン・コール2回。大成功!
3月23日(木) 晴れ。
昼、小森谷環が習っている昆劇の劇団「北方昆曲院」を訪問。『ハイ・ライフ』の役者小川輝晃、保村大和らと。昆劇の基礎訓練を見せてもらう。人間技とは思えない数々の訓練に驚く。京劇より古い700年の歴史を持つ伝統演劇。能と言った感じ。副院長と懇談。是非、コラボレーションを!との申し出『人形の家』『盟三五大切』私の演出を見て私の演出と劇団員・スタッフとの競演を望んでいる。身体能力では圧倒的に太刀打ちできないが是非実現させたいものだ。2008年のオリンピックを目指して交流しましょうと返事。
その後『ハイ・ライフ』の稽古。台詞が早すぎて字幕が間に合わない。明日の稽古で少しテンポを落してやってみることに。
『静かなうた』は立ち見客も加えて超満員。口コミの力。本番50分前、音響トラブル発生。海外では荷物制限もありパソコンで音出しをしているのだが、いきなりダウンしてしまったらしい。日本のように電圧が安定していない海外ではこういった機材トラブルが少なくない。『ハイ・ライフ』用に持ってきていたパソコンに一からプログラムを組みなおす。客入れが始まる。間に合うか?楽屋にも緊張が走る。舞台監督のQ。だが、スタンバイ曲がかからない。暗転。
見ているこっちも緊張したが、役者達は尚の事、一体感が強まったらしい。緊張感に満ちていて芝居は実に良かった。幕間の暗転ごとに拍手。今日も、カーテン・コール2回。「北京でこんなに美しい風景が見れるとは思わなかった。一面の白い砂。それだけで涙が止まらなかった。」北京で長く暮らすIさんの感想。環が駆けずり回って、苦労して用意した白い砂(実は岩を砕いた)。こだわり抜いた甲斐があった。
照明、音響のチームワークで無事トラブルも回避。残りあと1ステージだ。
3月24日(金) 晴れ。
午前中ホテルのラウンジで「中国新聞・周刊」の取材。
昨年収録したCCTVの「人物・流山児祥」は反日騒ぎでお蔵入りしていてまだ放映されていないようだ。
私の父は1960年の総評の副議長で何度か訪中し毛沢東や周恩来といった中国の指導者たちと何度か会談している。父の夢は定年後、日中友好の仕事をやることだった。何故なら父は若い頃中国戦線に応召し、侵略戦争に加担したという想いがあったからだ。結果として、放蕩息子の私が57歳で死んだ父の遺志を継いでいることになるのか?お昼過ぎに『ハイ・ライフ』通し。
『静かなうた』千秋楽。「世界初演」となったこの作品。さらに練り直して面白い作品に育っていってほしい。立ち見も加えて超満員札止め。演出家林兆華氏も奥さんを連れて来てくれた。久しぶりの再会。
終演後、またも全員でバラシ、砂の撤去。全員砂まみれで真っ白。解放軍歌劇院は去年の5月に開場したばかりの新劇場なのに幕もバトンも白い砂がうずたかく積もっている、本当にごめんなさい。
『ハイ・ライフ』は舞台を70センチ上げ、これまた白一色のファッション・ショーのようなセットに作り変える。白のピカピカのリノリウムと透明の強化ガラスの床が真ん中にある舞台。ラストは血だらけの世界に変貌する男たちのハードボイルド・アクション。
北京の演劇人達を震撼させるジャンキー・プレイが来週出現する?!