TOMOの4月日記 何とか生きてます。。。。。
先月お伝えした通り、今インドネシアで一番注目されている劇団「TEATER GARASI(テアトル ガラシー)」の稽古に参加しているのですが、本当に辛い。単に肉体的な辛さもあるが、ここインドネシアでは唯一と言っていい位の、真面目で、頭を使いながら稽古をする劇団なので、稽古内容がハードである。言葉の授業が稽古外の時間であったり、ほぼ全員がタリ ジャワを習っていたりして、すごく勉強している。というか、座長のユデイが勉強させている。かくいう私も、インドネシアで鈴木メソッド(鈴木忠志さんが実践しているメソッド)をやるとは思っていなかった。。。
インドネシアの劇団の印象は、どの劇団も、座長が色々な方法論や理論を持っていて、それを皆に与える感じ。日本ではどうしても公演の為の稽古がメインになってしまうので、演出家の方法論は学べるが、ワークショップ的な事を受けれる機会は少ない。そのワークショップも公演に反映するものであったりして、単純に日々の稽古として実践している劇団は少ないのでは。。。。そういう稽古が当たり前に存在していて、更に1番重要と思われているここの演劇は、すごく幸せだなと。
何も与えられない演出家はここでは、存在していない。それぞれの明確な方法論の中で稽古は進められている。それというのも、テキストをもとに芝居を作るよりも、ある言葉やテーマだけが先に存在していて、そこから役者がその言葉を連想させるように動く事から始まる芝居作りが主流であるからであろう。言葉やテーマすら存在しない事も多々ある。自分が何を感じるか。。。何から感じるか。。。自己が確立してくると、他人の気配も感じてくる。そこでどう感じるか。しゃべりたくなったら、しゃべる。動きたくなったら、動く。だから時間が動くまで、長い時間がかかる。テキストがあっても、基本は同じ事だと思うが、言葉がある事で、その言葉を発する状況にどうしても持っていきがちになる。だが、何もないと不安だし、必死。更に、今は、作品に対してのイメージになる事が多いので、自分なりの解釈はしているが、稽古の中で刻々と変わっていく指示を理解するのが大変。
。。。。なんか抽象的になってしまったなあ。。。
例えば、「シーン1のイメージ」という始まりだとしても、時間がたつにつれ、人と触れて行く事で、思いがけない感情や動きが生まれる。そうすると演出家にインスピレーションが働く。そこで、「テキスト3。誰々!!!」という指示が飛んでくる。つまり、シーン1の始まりから、新たなシーン3が生まれるのだ。テキストを与えてもらっていない私にも指示が飛んでくる。これはすごく嬉しい事である。そういう指示を出しても対応すると信用してくれているからである。
終わった後、必ず1時間位、全員でデイスカッションする時間がある。さっきの稽古についてどう思ったか・どいう感情が生まれたのか。皆それぞれ意見を述べたり、質問したり。モチーフになりそうな動きがあったら、全員でやってみたり。本当に気が抜けない。勿論私も言うが、作品に対して理解が浅い私は、とんちんかんな事言ってないか不安になる。人と出会って変わっていくが、決して無心では無くて、どいう感情でそうなったのか、覚えている事が大事なのである。
この考え方は、私の考えと一致する。よく「もう1回同じにやってみろ」と言われて、覚えていない人がいるが、頭を使ってないと思う。必ず動作には、欲求だったり、目的があるものである。それがないのに動いた動作は確かにすぐ忘れている。私達は作り手なので、この事はすごく大事な事だと思う。なので、1時間のインスピレーションの稽古があったら、その後に、それと全く同じにもう一度再現させられる。この動作の時に誰が何をしていたか。。。。その動作は誰からもらって発生したのか。。。。人を感じてないとすご~く難しい作業だ。
ああ〜何だかどんどん役者よりの話になってきたので、現実の話にしましょうかね。
今年は大統領選挙があるという事で、すごく盛り上がってる。実際の所は、メガワテイが良い訳では無いが、対抗出来る人がいないので、メガワテイか。。。。といった感じ。5日にまず政党選びの選挙があった。あんまり私も詳しくないので間違っていたら、許して下さい。7月にその政党から大統領を選ぶ。そこで決まらなかったら9月に再選挙。しかし、その選挙前がすごかった。24の政党があり、その政党を支持する人達が集団でバイクや車で公道を走るのだが、まるで暴走族。同じ服着て、旗持って。(色々なグッズが売られている)死者が出たりもするし、怖い。という事で、ものすごい数の警察官が出ている。彼らが通って行く時には、彼らが優先なのである。信号も無視だし、渋滞もひどい事になっている。1番お金を持っているメガワテイの政党は、かかえている人数も多いので、私が遭遇した時は、2000人以上の軍団だった。(写真左下)近くで写真撮ったりするのは大変危険。外人だからOKでないの? 何て思ってたら、外人だから余計危険だと。選挙権も持ってないのに、冷やかしか!!!!という訳で。なので、ちょうど高架を通ってる時にバイク止めて、撮りました。まったく関心のない日本の選挙もどうかと思うが、この騒ぎもどうかと。。。忙しい中、ジョグジャの世界遺跡プランバナンに、友達と行ったりもした。ボロブドウールという、もっと有名な遺跡もあるのだが、私はこちらの方が好き。規模の大きさに圧倒されて、何だか小さい事で悩んでたりする事が馬鹿馬鹿しく思える。
大変気持ちが落ち着く。古都ならではの香り。。。。(写真右下)来月は「waktu batu3」(私が参加したい9月の公演)の稽古が休みになり、7月にある公演「hujan(再演)」と「kunang-kunang」の為の稽古になるので、私は基本的に好きな時に参加すればいい状態になる。こんな忙しい劇団もインドネシアでここだけ。人気があるから、色々なフェステイバルに招待されているのです。更に、5月・6月に2人の子が海外公演に参加していて不在なので、「waktubatu3」の稽古が出来ないと言う理由もある。
と言っても私は色々手伝わなければいけないのですが。。。少し時間もらってジャカルタに行こうと思ってます。大きなフェステイバルがあるので、観に行こうかな〜と。
TOMOの3月日記
今月は、《折角インドネシアにいる事だし、色々な所に行こう!!!》月間。
先月末に終了した公演後、出演していた子がジャカルタに帰る前に実家に寄るという事で、同行して、surabaya(スラバヤ)へ。surabayaはインドネシア第2の都市で、かなりジャカルタと同じ匂い。ジャカルタからは飛行機で1時間20分位東にある。私達はバリからバスとフェリーを乗りついでの道中。圧倒的に電車の本数が無いこの国では移動だけで、最低丸1日かかる。ここでも、スラバヤにある劇場やら劇団やらを回り、芝居三昧。残念ながら公演が無かったので、芝居は観る事が出来なかったが、ちょっと他の都市に比べて劇団自体は熱が無い感じ。スラバヤ劇団で有名なとこ聞いた事ないし。地方都市は独自の文化がとても強いが、ここスラバヤは商業都市で大きくはなっているが、ジャカルタみたいに情報が多い訳ではないので、文化が中途半端な感じ。
ただ、食べ物がすごく美味しい!!! その子の家が都市からは大分離れた村で、海にすごく近かったので久しぶりに海魚食べられた!!! 輸送機関が発達してないので、内地で海魚は食べられないのです。。。。干物も食べたし、すぐ近くのマドウ-ラ島のsoto(御飯入りスープ)も食べた。結論。makanan surabaya(スラバヤ料理)は私の口にすごくあってる。
そんなこんなで、公演の全日程終了。ゆっくりする暇も無く、ジョグジャで、色々今後の事考えたり、劇団に行って話したりした。
沢山の劇団をこの半年で見たり、参加させてもらったが、1つの公演の稽古に長い時間をかけるインドネシアで、たった半年で1本の公演に出演出来た事は奇跡に近い。稽古が3ヶ月。全工程が4ヶ月というのは異例の短さらしい。そんな公演にたまたま遭遇出来た幸運に改めて感謝。あまりにもとんとん調子で参加出来てしまって、その事を忘れていたので、冷静に考える時間を持った。その結果、1番始めにコンタクトを取って稽古に参加していた劇団「teater GARASI(テアトル ガラシー)」に、期間終了まで腰を落ち着ける事に。
ジョグジャだけでは無く、インドネシア内でものすごく人気がある劇団で、劇団員は若いがすごくレベルが高い。しかし、入団希望者は後をたたないのに、残るメンバーが少ないのは、それ程、肉体訓練がきついのだ。そして、この国では照明や音響等の、裏方も劇団員なので、役者以外にも沢山のメンバーがいる。4月から9月の公演に向けての稽古が再開されるので、それまでは肉体訓練のみに参加。本当は大分前から準備が始まっていたので、私が公演に出演出来るかは未定。例え出演出来なくても、ここにいる価値は充分にある。人気があるので、色々な都市から招待を受けていて、6月・7月にも公演が控えている。今月の30日には私達が公演した「kunang-kunang(ほたる)」を使用した小さな公演もあった。
という事で、稽古開始まで時間に余裕が出来たので、makassar(マカッサル)に急遽出発!!!
sulawesi(スラウェシ島)というジャワ島の北東に位置する島の、南スラウェシ州の州都マカッサルの、「sanggar merah putih makassar(サンガール メラー プテイー マカッサル)」を訪ねる。ジョグジャから直行便の飛行機が出ていないので、スラバヤで乗り継いで5時間位で到着。当たり前だが、本当に飛行機使うと早い。。。
急な訪問だったのに快く色々案内してくれた座長のshinta(シンタ)に感謝。(写真左下)5月の公演に向けての稽古見学や、肉体訓練に参加させてもらう。shintaに興味があったのには理由があり、インドネシアで私が知ってる限り女の演出家は2人だけで、その1人が彼女なのである。インドネシアに来てすぐに見た芝居も、台詞は詩のようだし、シュールで面白かった。まだまだ若く綺麗な才能ある彼女に是非再会したっかたので、本当に嬉しかった。それも以前会った時はまるで会話出来ない状態だったので。。。
そしてここmakanan makassr(マカッサル料理)のまた美味しい事。soto好きの私にはたまらなかったcoto makassar(チョト マカッサル)。インドネシア1美味しいシーフードと言われるだけある、魚介類達。bakso(バックソ)、いわゆるつみれみたいな物も、私の大好物なのだが、海老で作られたのは絶品だった。ここには中華系の人が沢山住んでいてお店を経営しているので、日本人の口に合う付けも多いみたい。
その後ジャカルタに滞在。公演後の資料集め。公演の記事がのった新聞やらVCDやら。。。。ちょっとしか離れていなかったのに、妙に懐かしいジャカルタ。滞在中、公演やら展覧会やら観る。出来はどうであっても公演の量は圧倒的に多いので、何らかしらの催し物が観れるのはジャカルタのいい所。
そして、インドネシアに来て初めて水着着たpangandaran(パンガンダラン)。ジョグジャからバスで7時間程南西にある漁村。またしても海魚三昧。今月はいい料理ばかり食べているので幸せ。市場で魚を見て購入し、調理方法を言えばその場で作ってくれる。そしてここは、国立公園にも指定されていて、手付かずの自然が沢山残っている。グリーン キャニオンへも行ったが、落っこちそうなスピードと荒波の中をボートに1時間程乗る。1時間って長いですよ〜。説明なんか何もないから、日本だったら賠償問題になるような事や、命の保障は出来ない事ばかり。本当に危険。でもすごく楽しい。人間そう簡単には死なないでっす。人間には危険回避能力が備わっているので、たまには使ってあげないと逆ににぶりますよ〜。海岸では夕方から大量の凧が。インドネシア人は凧好きなので気にしてなかったらどうも様子がおかしい。。。。子供達が圧倒的に多いのだが、何と飛んでいる巨大なこうもりを生け捕りにしているのである!!!!(写真右下) 糸にからませて地上に落とす。すっごい上手。大体1日で5匹とれるらしい。そしてそのまま売るのだ。1匹RP20,000で5匹。。。。RP100,000(1500円位)!!! すごいいい商売だ!!! 本当に色々な方法でお金を稼ぐなあ〜。
本当、この国は食好きな人には堪らない国です。地域ごとに料理が全然違うので、現地の人に聞いて美味しいお店周りしていたら、あっというまに体重増加かと思いきや、暑い国は結構体力使うし、そうでもないですよ。さあ、体力つけたし、来月からはハードな稽古です。。。。生きてるかな、私?
TOMOの2月日記好評だったジャカルタ公演終了後、数日間の休みの後、稽古再開。だが、ここで問題勃発!!!何と1人の役者が行けない事に。「公演に行くと家賃が払えないから」という死活問題!!!何処の国でも役者は貧しいのね。。。。皆でデイスカッション後、急遽、演出のハリスが出演する事に。これはちょっと嬉しいハプニング。私は「役者のハリス」好きなので。
2週間程の稽古も毎日変化し続けました。。。容赦ないなあ〜。ジャカルタ公演が終わって、ちょっと間があり、何だか気が抜けていたので、いい薬だったけど。結局、また違う作品が出来た感じになり、18日、夜8時ジャカルタ出発。ジョグジャカルタまで、うまくいけば7時間で到着。電車なので、皆で手分けして荷物・セットを持つ。(写真左下)但し私は、ジャカルタ撤退なので、生活荷物を全て持っての移動だったので、すごい辛かった。。。。
この国では、電車は3分割されていて、普通のエコノミー・急行のビジネス・特急のエグゼクテイフ。電車の中でクラスが違うのもあれば、1種しかない電車もある。料金・時間にはかなりの差がある。私達はビジネスだったので、かなりの混雑と、暑さ。エコノミー以外は座席指定なので確実に座れるが、荷物が多い人が多いので、荷物置き場の場所取り合戦。スリが物凄いいるので、交代で誰かが起きているようにしながらの道中。油断禁物。時刻表はあってないようなもの。途中エグゼクテイフ車の待ちや、大雨で走れなかったり。まれに線路が破損してルートが変わったりしてしまう事も。もう大概の事には驚かなくなってる私なので、そんな事を聞いても別に何とも。大分感覚が麻痺してるかも。。。。
途中の停車駅では、物凄い数の物売り・物乞いが参入してくる。(エコノミーでは、停車駅のみならず始終なので、暑苦しさ倍増である。)文房具・食べ物・飲み物・雑貨・新聞。何でも売って歩く。電車に限らず、普段の生活からしてそうである。街中では、布団・枕・ゴザ。そんなものも売って歩いている。朝方にはおかまちゃん達まで進出。ラッキーな事に、順当に19日朝5時にジョグジャに到着。皆で劇場kedai kebun(クダイ・クブン)まで車で行く。この劇場はフリースペースになっていて、踊り・芝居・美術とあらゆるジャンルの公演が行われてる。レストランにもなっているので、多くの芸術家達の溜まり場でもある。1階と2階に分かれていて、1階は常時美術系の展覧が行われている。2階はコンクリート剥き出しの無機質な空間。
2日間の仕込みの後、21日&22日。8時。ジョグジャカルタでの公演。私は拠点がここだったので、無料では無いのに、結果50人位の友達が観に来てくれた。チケットはRP5,000。(ゴセン ルピアー。大体、75円位)でも、実はジャカルタ3ヶ月半・ジョグジャ1ヶ月半でジャカルタの方が長いのよね。。。。
公演は、正直、こんなにも客の反応が無いのかと驚き。コミカルな芝居なはずなのに、まるでシリアスな芝居を観てるみたいな雰囲気。演出で大分皮肉が多くなってたり、下ネタが多かったりしてるのも、原因の一つ。リアリズムに近い形も、まだまだ地方ではメインでは無いし。私の客がほとんどだったので、まだ若い子が多かったし。まだまだ地方の子達はピュアなのね〜。こんな所にも地域性が。でも、終了後は意外にも好評で、演じ手の方がびっくりという感じ。真剣に観てくれた事に感謝。
23日昼12時30分。バリに向けて出発!!!!
今度はバスでの移動。大体15時間後には、バリ到着!!!
混雑も無いし、エアコンもあったし、かなり快適なバスでの移動。24日朝4時頃バスがフェリーに乗り込み、甲板に移動。眠い。。。。寒い。。。。暗い。。。。朝を迎えていない海は本当に怖いくらい暗黒で怖い。ジャワ島から30分程で、バリ島に到着。こんなに近くても、時差1時間。バス自体はデンパサールまで行くのだが、我々は途中のnegara(ヌガラ)といいう田舎町で下車。デンパサールからは車で2時間程の街だが、本当に田舎で、何も無い。そのまま、宿泊地となるホテルに、迎えが来て移動。昼過ぎにgudung man(グドウング マン)入り。ここは劇場では無いので、何も無く、照明などは結局6台だけ。いつもは15台近く使っていたので、大変かと思いきや、「いつもの事だよ」と一笑されてしまった。本当にたくましい。幕をつるのにも、竹を買って来て、土台を作る。木よりも全然安いので、大概竹を使う。なのでのこぎりに加え、なたが必需品。1日の仕込みで25日。夜8時。バリ・ヌガラでの公演。差し入れのドリアンを貪った後、開演。大雨の中、思っていたより集まってくれたお客に感謝。劇場は雨漏りがすごくて、一時は大変な状態だった。。。
最後の公演は、ジョグジャと同じ様な雰囲気。ただ、インドネシアに来て始めての作品と思うと、感無量だった。終わりは必ず来ると分かっていても、やっぱり寂しい。宴は終了した。それにしても暑い。。。。ジョグジャが涼しかったせいもあるが、すごく暑い。バリ人は黒い訳だ。。。。
26日の朝10時頃、バスでデンパサールに向けて出発。本日帰宅する子が2人いたので、空港まで送っていく。そのままkuta(クタ)に行き、バカンス!!!皆にとってもバリは楽しみだったらしく、今回が初めてという子ばかりだった。ただ、クタの海岸は思っていたよりも汚かった。。。そして、何よりも、日本人の多さにびっくり。ジャカルタにしてもジョグジャにしても、観光客をほとんどみかけないので、久しぶりの日本語にちょっととまどい。中国人も沢山いるが、しゃべらないと見分けつかないので、皆日本人に見えて、何だか日本にいるみたい。。。看板もほとんど日本語で表示してあるし、変な気分。
夜、4人で海岸でおしゃべり。11時過ぎても、まだまだ賑やかな街に、観光地ならではの匂い。お店を覗きながら帰宅したが、店員さんは対応に困ってた。「日本語で話しかけたらいいのか。。。でもインドネシア人と一緒だし。。。日本人の羽振りのいい客ではなさそうだし。。。」そんな感じの表情に笑えた。実際、かなりぼっているのだろうが、ここではインドネシア人に対してもぼっている。こういう所が観光地の匂い。大概の地では、外人に対しての料金がある。続いて、インドネシア語が話せる外人。現地語が話せる外人。現地語が話せないインドネシア人。現地人。と、かなり細かい料金設定があるらしい。ま、いい加減だけどね。
27日朝9時に、私含めて4人以外は帰途に向けて出発。何だかあっけないお別れに、余計寂しさが増す。皆には生活が待っているので当たり前か。。。。夕方海岸での日没に感動。雲が出ていてはっきり見えない辺りが幻想さを増してた。(写真右下)夜には4人でレゲエのカフェに行ったが、外人ばかりに驚き。って自分も外人なんだけど。。。3時頃まで、ここバリにしかないお酒アラック・バリを飲みながら皆でジョゲット(。。。曲に合わせて踊る事)!!!すっかり観光客!!!テロがあってから観光客が減ったとは言ってもまだまだ元気なバリでした!!!
テロのあった場所にも行きました。名前が彫られていて沢山の人が訪れてました。冥福をお祈りいたします。。。
TOMOの1月日記 Selamat tahun baru 2004!!!! 明けましておめでとう御座います!!!
熱帯の国で迎えた新年は暑かったです。12月31日の夕方から、いつも稽古をしている、総合芸術施設「TIM」で、フェステイバルが始まり、ものすごい賑やかでした。余談ですが、12月30日の稽古が夜12時頃終わったのですが、ものすごい雨の為、皆でやむのを待っていたのです。しかし今回は長く2時間たっても止まず、皆お腹がすいたので買出しに1人出て行ったのです。しかし、なかなか帰ってこない。帰って来たと思ったら腿の辺りまでずぶぬれ。バンジール!!洪水です!!! JKTに来てから始めてみる洪水に興奮気味の私。3時頃雨は止んだので帰ったのですが、町の中心道路はものすごい事になってました。何が含まれてるか分からない危険な水で溢れかえっているのです。裏通りは水はひいていましたが、ほとんどの家は水びだし。しかし、慣れたもので家具を積み上げ、ばけつでもくもくと水をくみだしてました。31日の朝10時頃TIMに行ったのですが、町は何事もなかったかのようにいつも通りでした。日本だったら1週間位尾をひきそうなのに。。。。たくましい。。。。。
話を戻します。そのフェステイバルでかの有名な観覧車が出現!!!そうだった!!! あの観覧車はインドネシアでした!!! ものすごいスピードで回転する恐怖の観覧車。もはや絶叫マシーンよりも恐ろしい。近くでみるとそれはそれはすごかったです。飛んでいってしまいそうな勢い。そして本当によく飛んでいってるらしい。。。大体朝の3時に帰る頃には何もなかったのに、10時に来たらもう出来てたなんて、すでに有りえない短さでたってるのです。残念ながら子供達で溢れかえっていて大人が乗る余地がなく体験出来ませんでした。カウントダウンした途端、消防車がやって来て放水するは、街中のいたる所で紙で作った楽器が売られているのですが、それを車やバイクに乗って吹き鳴らすは、ただでさえ暑いのにますます暑苦しくなってました。
1日になったらもういつも通りの生活。ただ新年を迎えただけという感じで、あっけないものです。2日からは稽古も開始。会社も始まり、平常な生活。そして!!! とうとう今月、とものインドネシアデビューです!!! なのに12月の終わりから背中の筋を痛めて、思うように動けず悪戦苦闘。稽古中は忘れているのですが、朝など1時間位起きられずに大変な事に。ただの疲労かと思ってマッサージしたのが逆効果でますますひどくなり結局1月の公演終了後もまだ治ってないです。トホホ。。。でもおかげで、インドネシアの怪しいもの(失礼)一杯体験出来ましたよ〜。まず、マッサージ。すごい職業とされていてちょっとあがめられてる位。そして何でも治ると思ってる。だからマッサージで治らない私は、信じられないと。。。。そう言われてもね〜。。。。。それからジャムー。これは何だか飲み物なんだけど、こういうのが欲しいと言うと調合してくれる。ちょっと漢方とかに似てるかな。ジャムー売りの人を見つけて買う。これ飲んでも変わらない私は信じられないと。バルサムとミニャック。いわゆる、すり込む塗り薬と油。これも皆使ってる。これはいい感じ。普段愛用するようになりました。気分転換にもなるし。これを使ってなかった私は信じられないと。そして!! ブラス・クンチュール。何だか米から作ってるらしいが、兎に角固形の物を水で戻して、患部に塗る。しばらくすると乾いて、すごくあったかくなる。私はこれがあってたらしく、使ってから大分楽になった。これで私も普通の人になれました。思い込みで治してる感じ。気は大事だし。
そして、やってきました!!! 27日&28日。Kelompok Teater Kamiの公演。「seekor kuda, segelas jus, di tepi sungai tak ada kunang-kunang」(鈴江俊郎:作、「ほたる」 Harris Priadie Bah:演出)私のお披露目です。すっかりこの界隈では有名人な私。それも手伝って沢山の人が来てくれました。狭いホールだったのですが、両日200人以上は詰め込みました。それでも2日間とも50人位入れずに帰ったとか。兎に角すごい事になってた。今回スポンサーが国際交流基金で、日本の施設という事で台本も日本の作家を使用してました。日本人で、私費ではなくてインドネシアに演劇の為に来たのは私が始めての事だそうで、取材受けたりして、何だかちょっとしたスター気分。現地在住日本人向けの最大手新聞「じゃかるた新聞」の29日の朝刊に私の事を書いてくれた記事が出たりもしました。重石さん有り難う。(写真左下)私自身の知り合いも、20人位は来てくれました。インドネシアでもちゃんと客呼んでますよ〜流山児さん。
肝心の芝居はというと、大好評。前から感じていた、客がすごく参加してくれてる感じを体験出来た。面白い事には、素直に反応するし、こんな所が面白いんだと感覚の違いも発見だった。日本の歌舞伎や、大衆演劇の観客に近い。私の役も鈴江さんの本ではドイツ語を勉強し始めた高校生らしいが、ハリスが変えて、インドネシア語を勉強し始めた日本人大学生でした。こっちではイスラムの子が多いのでなかなか下着になったり出来ないのだが、「私は問題ないよ」と言うとそんなシーンになったりと、もう本来の台本とはかなり違う事になってた。でもその変え方が、私には新鮮で面白かった。日本人をこう思ってるんだとか、インドネシア人にはここが理解出来ないんだとか、セットには一切頼らない芝居の創り方等。ただ、テクニカル的な事はすごく遅れてる。インドネシア人の手先の器用さが逆に邪魔している気がする。ただ、物がない中での彼らの発想力はすごい。そして、何よりも、私が異常に評判が良くて(まあ、もの珍しさでしょうけど。。。)終わった後、ものすごい人に挨拶され、インタビューされ、すごく嬉しかった!!こっちでは終わった後、すぐに観客が興味のある役者の所に殺到するのです。私も日本人の役者はこんなもんかと思われるのも怖かったので、ホッとしました。何だか任務は一つ果たしたという感じです。おかげで、沢山の劇団のオファーがあり、嬉しい限りです。次は4月&5月に公演がある「Teater Gajah Mada」に出る予定なので当面はジョグジャでの稽古になりそうです。しかし!! その前に、ジョグジャカルタとバリでこの公演が出来る事が決まったのです!!! ジョグジャは私の拠点地です。沢山の人が来てくれる事でしょうし、思いがけず公演でBALIに行ける事にもなり嬉しい限りです。つい最近決まったというのも驚きの国ですよね。。。宣伝手段もないし、JKTでもやっぱり口コミでした。
公演終了後の4日間の休みは沢山の劇団の招待を受けたので、毎日劇団訪問で忙しいです。2月2日からは稽古再開です。来月は旅公演模様を送れそうです。
これならトモでも読めるか(失礼!) すっかり溶け込んでいますねえ
TOMOの12月日記
Jakartaに拠点を移して早くも1ヶ月半が過ぎた。Yogyaと全然違う環境の中で孤軍奮闘している毎日である。
TEATER KAMI(テアトル カミ)から電話をもらって、住む場所はどうするのか・作品はどんな内容なのか・稽古は何処でやってるのか。何も解決していないまま飛行機に飛び乗った。
無事に到着し、Jakartaの大きな芸術施設「TIM(テイム)」で座長のハリスと会う。台本をもらいびっくり。何と、YogyaでTEATER GARASI(テアトル ガラシー)の若い世代が取り組んでいるといった台本「kunang-kunang(ほたる)」だったのだ!!京都の劇団の鈴江俊郎さんの台本なのだが、これで言葉に不自由している私が呼ばれた理由がはっきりした。
今回のスポンサーは国際交流基金という日本の団体であり、台本も日本の物を使用する。従って役者も日本人が参加していた方が都合がいいのである。ただ、現在の状況で大変残念なのは、日本語からインドネシア語直訳でない事である。一度英語になってしまうと、大分ニュアンスも変わる。更に日本人とインドネシア人はすごく似ている所が多い。なので直訳なら、もっと台本の伝えたい事を理解出来るのに。。。。必然的に物凄い書き換え。流山児さんに負けない位の豪腕ぶり。タイトルも
「Seekorkuda Segelas jus Di tepi sunngai Tak ada kunang-kunag」と書き換え。もう本来の台本とは別物である。台本の修正を含みながら、2日間本読みを行い、いきなり立ち稽古。ワークショップをしているのかと思っていたら、すでにオープニングのシーン作り。訳もわからず必死についていく。シーン稽古になってまた大変な事に。台本を持ってはいけないのだ。そんな事はつゆしらないので、覚えていない。というか、まだまだ台詞の意味すら理解していない。想像以上の台詞の量に加えて、口立てでどんどん変わっていく。なので覚えていなくても問題ないと言われるが、耳だけで覚えるのは本当に大変だ。しかし、次の日には気合で、自分の台詞は全部覚えて行った。本当にただの丸暗記。相手の台詞までは分からないので、間違えたらお手上げ。そして、稽古でほとんど変わってしまう。
これの繰り返し。慣れてきたと思っても、次の日には全く変わる。なので毎日本当に勉強が必要である。言葉に不自由しなければ相当に楽しめるのだが、悲しい事に、今現在は楽しんでいる余裕はない。稽古は不法侵入であろう、ビルの屋上で行っている。(今は雨季なので雨が多い。その時はさすがに建物内に移る)ランプ一つで稽古。(写真左下)もうここで本番やってもいいでないかと思う位いい雰囲気。贅沢な稽古場。インドネシアでは出来ない事や、不可能な事はない。なんでもやってしまう。ありえない事だらけだ。ただ難点は、皆色が黒いので、暗いと何処にいるのか分からない事だ。こんな事彼らには言えないが。。。。。
今月の8日から14日まで、JakartaのTIMで大きなフェステバルがあった。(SILATURAHMI TEATER 2003)TIMの中には立派な屋内劇場(GBB)と、野外劇場(Sanggar Baru)の二つがある。そこで毎日、公演・ワークショップ・デイスカッションが行われた。朝から晩まで芝居関係者で溢れかえっていた。色々な地域から呼んでいたので、Jakartaにいながら、地域の芝居もみれて興味深かった。ジョグジャで知り合った人も沢山来ていた。14団体の公演・4つのワークショップ・3つのデイスカッションと盛り沢山。全てに有効の招待状をもらってたので全部只で参加出来た。とは言っても、払ってる人は見た事なかったが。
座長のハリスがこの企画の代表だったので、劇団の男性人は期間中泊り込みで手伝っていた。余談だが、以前、インドネシアで読める日本の台本は鈴江さんのしかないらしいと書いたが、間違いであった。英語であれば、鐘下・別役・三島・川村等、私が見ただでも沢山あった。これからどんどんインドネシア語にされていくであろう。日本の芝居は舞踏と歌舞伎しかないと思っている人が多いので、すこぶるいい傾向である。
芝居の話はこれ位にして、少しJakartaでの生活の話を。
まず交通。以前書いたジョグジャとは全く違う。電車が、すでに交通の手段として用出来るくらいにはなっている。ただ、物凄い込みかた。電車の屋根にも沢山の人が乗っている。だがしょっちゅう、電線にひっかかったり、滑ったりして死んでいる。私も時々乗るが、インドネシア人と一緒でないとまだ乗れないし、あまりにも混んでいるのには乗らない。本当に危ない。乗る前に、警察に「気をつけて。バッグは前に。携帯は電源切って」等注意されるが、だったら何とかしてよと思うのは私だけなのか。。。馬車やベチャ(自転車タクシー)はもう本当に限られた場所でしか見れない。代わりにバジャイという三輪バイクみたいのがある。かなり音がうるさい。ただこれも、まもなく消えていくそうである。すでに今現在もバジャイは通れない道が多い。兎に角渋滞がすごいのである。朝・昼・夕方のラッシュ時はいつもの3倍の時間がかかる。バスに乗ろうが、タクシーに乗ろうが避けられないので、皆ストレスを感じている。バイクはジョグジャに比べてかなり少ない。混んでいると歩道を走る交通すらも地域でこんなにも違う国である。。。本当に面白い国だ。
食べ物は高い。一回の屋台での食事が飲み物込みで最低Rp10.000はする。(150円位)ジョグジャの倍である。食費は結構かかる。
生活費と言えば、家である。インドネシアの賃貸制度はとても良い。まず、コントラ。ジョグジャの家がそうであるが、家を借りる時には1年分の家賃を先払いする。大体水は井戸なのでただ。電気代は個人で払う。家具などは何も無い。そしてコス。1ヶ月毎に家賃を先払い。所謂アパートだが、家具はすでに設置してあるので、ただ引っ越してくるだけでいい。トイレが部屋の中にあるか・共同かで家賃が大分違うが、いずれにしても風呂無しという事が絶対に無い。mandi(マンデイ)というインドネシア式トイレ兼浴室で(写真右下)、水浴びを一日に最低2回はする。1回しかしないなんて言ったら「汚い」と本気で言われる。よっぽど汚い事沢山あるのに。。。
高級コスでない限り、mandi・台所は共通である。私のコスはかなり大きく、3階建てで、屋上に洗濯物を干せるし、共同の冷蔵庫はあるし、共有のスペースが大きくそこにはテレビもある。町の中心地なので割高。ジョグジャが安かったのでかなり高い感。それでもここは、外人など入れない様なスラム街らしく、安いらしい。インドネア人に探してもらわなければ絶対に入れない地域。
コス探しはかなり大変でこれまた口コミや、歩いて探すしかない。不動産がないので、家に貼ってある張り紙目当てにひたすら歩く。外人でなくても知り合いにも探してもらわないと難しいらしい。
ただ何の保証金もいらないし、すぐに住めるし、身一つでいいしすごく便利。日本もこうだったらいいのに。。。。最近雨が多くすごく寒い。インドネシアでこんなに長袖ばかり着てる自分等想像もしていなかった。そろそろ2003年も終わり。浴衣でも着て新年を迎えようかな。
来年も横須賀智美をよろしくお願いします。
TOMOの11月日記 10月25日から27日の間にプアサ(断食)を行うラマダン(断食月)に入った。
開始日に多少のずれがあるのは、アラブの暦やインドネシアの暦や啓蒙している人によってのずれがあるらしい。どこをとっても、厳しいんだか厳しくないんだか、不思議な宗教である。
今年は11月25日・26日であるレバラン(断食明け祭)までの1ヶ月。いつもとは違う雰囲気になる。断食と言っても、太陽が昇ってる間だけである。大体朝5時くらいから、夕方の6時位まで、食べてはいけない・飲んではいけない(もちろんつばも)・煙草はいけない・SEXはいけない。つまり嗜好が禁止されるのである。但し、子供はプチプアサで、昼の1時位まで。病気の人・整理中の人・妊娠中の人・乳児がいる人・肉体労働者等はしなくても良い。
逆に言うと、プアサの為に、仕事をしない人が多くなるのである。昼間は開いてる店もかなり減るし、あんまり堂々と食べてると、礼儀知らずと思われる。講義も無くなる事が多くなるし、公演もめっきり無くなる。何だか町の中の人が減る。お腹が空くし、睡眠不足で、家にいる人が多くなるのだ。そして、ここからがこの宗教のすごい所だ。朝の3時位に大音量で「サフ〜ル!!!!!」という声が流れ出す。(毎日、イスラムの祈りの時間には大音量でお祈りが流れる為に、どこへ行っても聞こえない場所がないように、スピーカーが設置されている)それと同時に、「サフ〜ル」と叫びながら、寝ている人を起こす為に、町中に人が沢山出てくる。食べ物売りも出てくる。「太陽が昇る前に飯を食え!!!」という感じかな。そして食事をして、たんまり煙草を吸って、また起きるまでの1.2時間寝るのである。(大体皆6時には起きる)
夕方の6時もこれまたすごい。ブカ・プアサと言って、毎日のプアサ開けの時間が近づくと、バイクや車がもの凄いスピードになり、更に運転が荒くる。漫画のように血相を変えて走る。もう飯の事しか見えていないのだ。屋台や、食堂は大混雑。どこへ行っても、手に飲み物と煙草を持った人達が、時計を凝視してる。勿論、仕事場でも。そして、ブカ・プアサの時間になると一斉に飲食を始める。こんなに嬉しい事は無い位の勢いだ。テレビも一斉に同じ画面になり、ブカ・プアサを告げる。
ここがまた面白い所だが、イスラムで無い人もこの儀式に参加してるのだ。全然断食などしていないのに。ちょっとしたゲームのように見えてしまう。更に、色々な所で、御飯を只で食べられる。イスラムのお祈りには参加しないで、何処からか情報を聞きつけて、ただ飯を食べに来る人がたんまりいる。(私もその一人だけど。)インドネシアでは宗教に入信するのが義務なので、すぐに何の宗教か聞かれるし、信心していない事は考えられない事とされているので、何だか外国に来てからの方が、日本の事をかえりみる事が多い。生粋のイスラムの友達と最近行動を共にしているのだが、ムスジッドに入る時は私も、正装を身に纏う。ここだと、宗教というものの偉大さを肌で感じ取れる。子供達も、大人が祈りの言葉を唱えていると涙ぐむ。皆で神に感謝している。こんなにすがれるものがあるのは、ある意味幸せだなと思う。
芝居の稽古も、ブカ・プアサで終わるか、それから始まるかのどちらかになる。どんな稽古をしてても時間が来ると終わってしまう。いやはや。。。。。。そして1年で最大のイベント、レバランがやってくる。イスラムの大晦日から、新年にかけてのお祭りにあたる。苦しい断食が明ける事を喜び合い、前年の非礼を詫びに家を訪問する。ほとんど全ての人達が、生まれ故郷に帰る。新しい洋服を買う。都会は寂しい状態になる。交通手段のチケットは、発売日に全て完売する。祭日自体は2日間だけなのだが、大体2週間近く休みになる所が多い。レバラン前1週間と、レバラン明けの1週間だ。国中で大移動が行われるという訳。お店はほぼ全部閉まってるし、不便だ。ジョグジャの友達がこちらのカンプン(村)に帰って来ていた為、参加させてもらう。私以外は全員イスラムだし、カンプンならではの儀式に沢山参加した。貴重な経験。子供削減令が出てはいるが、実情は、まだまだ8人位産んでいる。
しかし、インドネシアの子供は世界一可愛いと思う位愛らしい。(写真有り)そして、断食が明けた時から、太鼓を、最低2日2晩交代で叩く。絶え間なく鳴らしして、いないといけないらしい。物凄い数の場所で叩いているのだからすごい音量だ。私も参加したりしたが、ちょっとトランスに近い。いやはや。。。。。。
イスラムの話になると、いくらでもつきないので、この辺で本業の報告を。
コンテンポラリーダンスが、最近はやって来ている、この国では、まだまだ技術が追いついていないが、身体能力の高さや、リズム感の良さを考えると、これから学んでいけば、すごくいい表現者が出てくると思う。ジョクジャカルタの外れにある劇場、Banjarmiliでも若いダンサー達が練習している。稽古場としても開放しているので、空いていれば使わせてくれる。私もTARIをやっている子と一緒に行き、久しぶりに夜中中踊った。そして朝は、そばの川でMandi(マンデイ・ここは水浴び文化なので)をする。すごく気持ちがいい。勿論屋内の劇場もいいのだが、外の山の斜面も劇場として時々公演を行うらしくて、凄く魅力的な場所に、想像力が膨らんだ。そこでシラットの稽古もしてみたりして。。。。(写真右下)私のバックにあるのが劇場になりうる場所です。川あり・水貯めあり・斜面あり。。。。これは何かやるしかないでしょう。ジョグジャをすっかり堪能している頃に、急な展開で、ジャカルタの劇団から電話があり、11月中に来れるなら、1月の公演に出ないかと。何と、出演のお誘い!!!ふたつ返事で承諾した途端、2つのジョクジャの劇団からもお誘い。重なってしまうのね。。。。早い展開に自分でも驚きながら、早速ジャカルタに出発。どんな内容かも知らずに、兎に角居住地をジャカルタへ。何処へ住むのか・演出されて分かるのか・日本人一人きり。。。考えても始まらないので、行動あるのみ。不安だらけのジャカルタ生活が始まった。ここでの奮闘記は来月。
トモにはすでに3人の子供がいる……はずないっか 今月の決めポーズ!
TOMOの10月日記
10月に入った。プアサ(断食)前。
今月は少し、INDONESIA人の生活に触れてみます。街中では毎日何かのイベントがありますが、その中の1つの、「ワヤン」という大衆娯楽がINDONESIAでは盛んです。大きく分けて、
1 ワヤン・ゴレッ(ク)・・・・・・(立体)木製の人形
2 ワヤン・クリッ(ト)・・・・・・皮製の人形
3 ワヤン・オラン・・・・・・・・人間が演技する劇
の3つがある。一般的に影絵芝居と思われているが、そうではなく、「伝統的古典劇を操り人形で見せる物」という意味であって、日本人の思う影絵芝居と思うと、かなり印象の違う物も多い。12日には、soloの町のカンプン(村の集落)のワヤン・クリットを観に行ったが、影よりも演じ手を見せるのがメインのものだった。観光客用の催し物は、ガイドブックなどに載っているが、現地の人の為の催し物は、ワヤンに限らず、パフォーマンス情報は全て口コミのみ。しかもすぐ側に住んでいても知らなかったりする。それ位、毎日何かがある。特にプアサになるとほとんどの公演が無くなるので、今が一番公演が多い時期でもある。
この日も、実家が近くの子からの情報で、聞いたのも当日だった。いつも急にしか分からない。ワヤンは、大抵、唄あり、ガムランあり、漫才みたいな掛け合いありと盛り沢山で、夜8時位から朝まで行われる。ちなみに、大抵は無料。大衆芸能として、人々の生活に密着しているのである。
あと、地域性が非常に高い。これはINDONESIAの特徴だが、ここsoloで行われるものはここでしか観れない。しかし、ジャワ人は10時頃には寝るので、帰り道には注意が必要。街中を一歩出ると、田んぼの中などに人が潜んでいて、よく殺されたりバイクを奪われたりしている。更にイスラム教徒が90%をしめるここでは、女が10時以降に出歩く事は基本的にはない。女と分からないようにして、バイクで帰るか、タクシーを呼ぶしかない。(バスは7時頃で終わる)しかし、いつも下の写真のような格好でバイクに乗っている私はすでに、誰だかも分からないが……(基本的に皆こんな格好→写真下左)
乗り物の話になったのでちょっとYogyaの交通事情に触れてみます。
1 歩いている人・・・ほとんど皆無。本当に歩かない!! 座ってる人は沢山。
2 自転車・・・・・・危険だし、暑い。
3 電車・・・・・・・主に長距離用である。
4 バイク・・・・・・一番の交通手段。それも大体HONDA・SUZUKI・KAWASAKI・YAMAHAである。
5 バス・・・・・・・沢山あり便利だが、停留所がない為、どこからでも乗れるしどこでもおりられるが、行き先が分かりづらい。集団スリがいたり、バスごとスリ車だったり、事件も多い。乗らないほうが無難なバス番号等もある。抵抗すると刺されたりするので、手が鞄に入ってても騒げない。用心してても巧妙な手口で、沢山の人が被害にあってる。しかし、バスの料金は一回Rp.1000(15円位)と安い。長距離でもRp4000位(60円位)。
6 タクシー・・・・・乗った時にメーターが動いているか、車体が汚すぎないか等、チェックのしどころは満載である。しかし、円に換算してしまうと驚くほど安い。初乗りはRp.3500(50円位)
7 ベチャ・・・・・・所謂自転車タクシーである。乗る前に値段交渉してから乗る。
8 アンドウン・・・・馬車である。こちらも乗る前に値段交渉。7や8はもうJakartaのような都会では消えているが、ここでは健在である。普通に信号待ちで車やバイクに混じって、馬や自転車がいたりする良い町である。ちなみに、左折は常にOKな道が多いので左側で信号待ちしていると追突される。ハンドル握ると人が変わるとはよく言ったもので、INDONESIA人は普段温厚で、人前で怒ったりする事は絶対にないのだが、乗り物に乗ったら、一変する人が多いようだ。
ここらで少し芝居の話を。
7日。シラット(インドネシア拳法)の稽古に参加させてもらっているTeater Gadjah Mada(テアトル・ガジャ・マダ)の公演が有る為に、図々しくもお手伝いに。メイクを手伝ったり(黒塗りの!!)終わった後のデイスカッションに果物を配ったりした。こちらでは芝居そのものが生活に近い存在で、観客との境がないような気がする。踊りや楽器も生活の中に普通に入り込んでいるし、観客も穿った見方をする人もなく、本当に楽しそうだ。抽象的な芝居で良くわかんないけどうんちくをたれる事よりも、分かりやすく、しかし体の表現・リズム感は素晴らしく、更に言葉が分からなくても面白い、所謂大道の芝居の素晴らしさを再認識させてくれた。でも かなり、皮肉った内容がどこでも取り入れられているのは、INDONESIAの国家の成り立ちに関係があると思う。15日にも次の公演のエキシビジョンがありお手伝い。(写真下右)
25日からプアサ(断食)が始まった。とうとうイスラムに近づける日が来た。ここYogayaではカトリックも多く、緩いイスラムなので、本当はそんなに気にする必要がないのだが、生活に少しでも近づく為に私も実践!!
なかなか似合うぞ、トモ INDONESIAのイケメン男たち(笑)トモの好みは……
TOMOの9月日記
Jakarta(ジャカルタ)に降り立ったのが、9月20日。出だしから出発が2時間遅れたりなどで、順調ではないスタートに不安がよぎる。しかし、見事に裏切ってくれた。とても入国チェックが厳しく、別室へ連れて行かれる人が結構いる中、無事入国。やっぱり、テロが多発しているからか。と思いつつも、私が果敢にINDONESIA語で話すと、皆、気は良いのですっかり話に夢中になり、おざなりに終了。
。。。それでいいのか。。。。
その日はJakartaに泊まり、久し振りのINDONESIAを堪能。ガラムを煙らす。21日。朝10:05発の飛行機。こちらのイスラムの祭日が重なり空港は大混雑。
パブリックシアターの松井さんがバンドウンから本日Jakartaに戻るのだが、夕方の戻りなので会えずじまい。国際交流基金の方も、BOOMが10月に来るとかで大忙し。なんだか盛り上がってます、日イ交流。
無事にYogyakarta(ジョグジャカルタ)に到着。いきなり、「Teater Garasi(テアトル ガラシ)」のメンバーUUNGとライターのアリアに電話をかけ(もちろんインドネシア人)、夜迎えに来てもらう。3人で、[KEDAI KEBUN FORUM]という二階がオープンスペースになっているギャラリーで晩御飯を食べる。
この日も次の日のTARI(踊り)の為の仕込をしていたので見学。オーナーとも挨拶をして記念すべきYogya初日は終わった。22日。「Teater Garasi」へ遊びに行く。劇団員は9人。3月の公演のビデオを見せてもらった。かなり面白い!! この劇団は燐光群の坂手洋二さん初め多くの人に支持されている劇団で、もの凄く身体能力が高い!! 実は座長のYudihは8月の「ク・ナウカ」(利賀村)にも参加してました。来年はク・ナウカが来イするかもと。そして、現在は2人のメンバーが日本で劇団影坊子の稽古に参加してます。12月にはJakartaでも公演が有り、お手伝いする予定です。
ちなみにYogyaでは、40歳以上の演劇関係者はいないそうです。地方に行けば行くほど、まだまだ体を使った芝居が主流なので、体力的に難しいのだそうです。流山児さんの歳を告げたら、皆驚きでした。
それから何と!! 若い劇団員が鈴江俊郎さんの「kunang-kunang」(ほたる)の戯曲を読み合わせしているのです。(下写真右)
私の仲の良いJakartaの若い劇団「Teater KAMI」も鈴江さんの本をやっているので、彼はかなり有名人です。どうやら英訳が出ている日本の戯曲は彼のだけらしいのです。テキストを使った芝居というものに目が向き始めてる最中で、若い世代しか取り組んでいないというのが、まさに象徴です。
その夜、スマトラ島から来ている劇団「Teater Satu」の芝居が、車で2時間程のSoloという町の[Teater Arena Taman Budaya Solo]であるというので、連れて行ってもらう。チケット代がなんとRp.3,000(45円位)。
終わったあとも皆で集まって感想を言い合ったりしている。(下写真左)500円会みたいな雰囲気だが、決して知り合いでは無く、興味のある観客とのデイスカッションだ。23日。初大学手続き。全然まだまだ進まず。授業はまだ出れません。ガムラン科の先生の家でご飯たべました。
26日。「Teater Garasi」で稽古初参加。INDONESIA拳法の[シラット]をやったのだが……辛い!! 辛すぎる!! 体力しか自信がない私がめげそうになる大変な動き。ただかなりかっこいい。武闘派狙いの私が取得出来たらかなりいけてる事になるだろう。型が物凄く沢山あるらしいが、本日はその中の極一部だと聞いて、倒れそうになった。座長を中心に皆で芝居についてのデイスカッションをして、終了。
30日。Yogya(ジョグシャ=ジョグジャカルタの略)で活躍している日本人はかなりいるようで、現地の人より踊りやガムランにたけていたりする。その中の一人の子が最近芝居に参加しているというので、連絡を取り、「Teater Gadjah mada」に参加させてもらう。2日からはスマトラ島で行う芝居の稽古になるが、今日はまだいつもの稽古という事でシラットをやる。Yogyaでは、シラットは表現の上で切っても切れないものなのだ。精神的にも、体力的にも基本になっている。
今日で11日経ったことになるが、何だかすでに一ヶ月ぐらい滞在している気がするぐらい濃く、忙しい毎日。イスラムが根底に流れている生活を理解していくことが、インドネシアの文化を知ることになると思う。彼らがどういう物を食べ、どういうリズムで生きているのか。これから、ゆっくり知っていきたい。
終演後芝居談義は全世界共通ですね プンドポというINDONESIAの建築様式の稽古場兼劇場