■劇評■(2006〜)

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浮世混浴鼠小僧次郎吉』 「中日新聞」2007年2月24日  見せた「身体の力」 安住恭子

 
 流山児★事務所の「浮世混浴鼠小僧次郎吉」(佐藤信作、天野天街演出)を見た。三十数年前に「革命の演劇」とされた佐藤の作品が、名古屋の天野の演出で現代にどうよみがえるのかへの興味からだ。
 盛んに劇中歌を歌い、わい雑に絡み合うといった、まさに当時のアングラ劇の作り。その中で描かれるのは、死のうとしても死ねない男女や、食うことに追われる男たち等々だ。ヒロインらしき女が赤と白の着物を着ているように、それらは綿えず日の丸のイメージの中で繰り広げられる。


 そこに変わらない日本、変わらない民衆への佐藤の告発が込められているのかもしれない。だがそのことが取り立てて伝わって来るわけではない。天野はその戯曲をそのまま提示しながら、別の手法を加えることで現代との接点を作る。ダンスや映像などいつもの天野の視覚的仕掛けと、身体を駆使する演技だ。


 そこから二重の身体性が現れた。一つは肉弾相打つエネルギーであり、もう一つは機械的なダンスによる、その熱を無化する力だ。振付もした夕沈の、どこにも着地しない浮遊する身体がその核になっていた。その結果、言葉や意味は無化され相対化された。それは「革命の演劇」の相対化でもあったと思う。

残ったのは身体の力だ。それこそが佐藤らの世代から天野らに伝えられたものだと思う。(15日、名古屋・七ツ寺共同スタジオ)
    

浮世混浴鼠小僧次郎吉』 「ダンス・マガジン」2007年4月号 魅力あるからくり″劇    扇田昭彦

 佐藤信(一九四三年〜)は黒テントに所属する劇作家・演出家で、一九九七年から五年間、世田谷パブリックシターのシアターディレククーも務めた。現在では演出家として見られることが多いが、一九六〇年代から七〇年代にかけての佐藤は、『鼠小僧次郎吉』
五連作(六九〜七一年)や、『喜劇昭和の世界』三部作(七二〜七九年)などの作・演出で圧倒的な人気を集め、唐十郎とともに「天才」と呼ばれた書き手だった。
 その後は旧作が再演されることも稀になって、いまでは佐藤信の劇作家としての華麗な才能を知らない世代も増えているが、そんな状況のなかで演出家・流山児祥が主宰する流山児★事務所が、佐藤信の戯曲『浮世混浴鼠小僧次郎吉』(一九七〇年、黒テント
の前身の演劇センター68/70が初演)を東京・早稲田の小劇場「Space早稲田」で上演した。名古屋の劇団「少年王者館」を率いる天野天街(一九六〇年〜)の演出である。
 初演以来、三十七年ぶりの再演だったが、これが目のさめるような優れた舞台だった(二月五日観劇)。才気あふれる佐藤の戯曲と奇抜で視覚性の強い天野の演出が呼応し、じつに刺激的な舞台が生まれたのだ。この舞台成果は間違いなく佐藤信の劇作の再評価につながるだろう。 『浮世混浴鼠小僧次郎吉』は佐藤の『鼠小僧』シリーズの第二作に当たる。劇中歌(今回は荻野清子と珠水が作曲)が多い、音楽劇スタイルの作品だ。 一言で言えば、これは変革を望む日本の民衆と、一向に到来しない革命との関係を、ポップ感覚の重層的な寓話劇として描いた作品である。到来しない革命には、ベケットの『ゴドーを待ちながら』の残響も感じられる。 たとえば、ドブのなかで暮らす五匹のドプ鼠は、鼠であると同時にしがない民衆であり、生活を変えようと流れ星に願いをかけた彼らは体制に敵対する鼠小僧に変身する。盗賊となった鼠たちは日本国家の象徴である「あさばらけの王」を盗もうとするが、いつも奪取の好機−「子の刻」を逸してしまう。鼠たちは特攻隊に員にさせられ、人々の頭上には流れ星ならぬ原爆が落ちてくる。敗戦を経ても根本的な変革は起こらず、「あさぼらけの王」はやすやすと生き延びる……。


 この作品が初演された一九七〇年は、人々の間に革命幻想がまだ切実に残っていた時代で、私を含め当時の観客はまるでパズルのようなこの劇の複雑なアレゴリーを読み解こうと懸命になった。
 三十七年後の現在、革命幻想はすでに跡形もなく、日本の現代劇の構造は全体にきわめて平易になった。いまの若い世代にとって、佐藤信の複雑な知的からくり箱のような劇は一種の異物かもしれない。 だが、演出の天野は彼自身が「からくり」の手法を駆使する鬼才である。彼は佐藤のテキストをほぼそのまま使いながら、随所に痙攣的なリズムと呪術的とも言える音楽、意表をつく映像を持ち込み、劇全体を不気味で誘惑的な悪夢のような世界に仕立てた。佐藤の劇を分かりやすく見せるよりも、魅力ある異物として提示する姿勢で鋭い美意識が支配する舞台作りだが、廃業した銭湯のような舞台装置(水谷雄司)を含め、それはジャンクアートに通じる美意識だ。

 門番役の流山児、女郎「へへ」役の小林七緒、「鼠一番」役のイワヲなど、俳優たちの演技は個性的で活気があったが、同時に彼らの動きは緻密に振付けられ、どこか人形劇風だった。「あさぼらけの王」を物体で表さず(初演では巨大な陽物が登場した)、少女巫
女風の女優・夕沈(少年王者館)が演じたのもユニークだった。
              
 途中で、鼠たちがひとつの蕪をどう分けるかで争う個所を、男優三人(イワヲ、里美和彦、甲津拓平)が猛烈なスピードで際限なく、数十回も繰り返す場面があった。その馬鹿馬鹿しさで観客を笑わせ、呆れさせるシーンだが、この繰り返しは台本にはなく、天野演出のアイデアである。一見ナンセンスに徹した趣向だが、この作品が同じことを繰り返す日本の歴史、つまり時間の循環を居ている描いていることを考えれば、劇の主題に沿った趣向と見ることもできる。 この成果を踏まえ、これからも天野演出で佐藤信の劇を再演してほしいと思う。


 

浮世混浴鼠小僧次郎吉』  「日本経済新聞」 2007-2-1夕刊 ステージ採点 河野孝

いま“アングラしている”のだという熱い舞台。「浮世混浴鼠小僧次郎吉」は黒テントの佐藤信が岸田戯曲賞を受賞した三十七年前の作品だが、天野天街の粘着質な演出で、面白く現代によみがえった。地芝居調で、映像の使い方もうまい。世直しへの幻想をこめた観念的を自棄と、大衆的なわい雑性が絶妙に溶け合っている。

浮世混浴鼠小僧次郎吉』  しんぶん赤旗」 20072月5日 深刻ぶらず軽快に 北野雅弘(演劇学研究)


 小劇場演劇がまだアングラ劇と呼ばれていた頃、演劇センター68/69(現在の黒テント)の佐藤信が七十年に初演し、七一.年に岸田國士戯曲賞を受賞した「鼠 (ねずみ)小僧次郎吉」連作の一つを、流山児★事務所が、少年王者舘を率いる天野天街の演出で上演している。


 佐藤と流山児祥が小劇場のそれぞれ第一、第二世代を代表する人物の一人であるのに対し、天野は、ク・ナウカの宮城聰や山の手事情社の安田雅弘などとともに、その現在をリードする一人で、かれらの演劇は概して前の世代よりも視覚的な完成を重視する。天野はこれまでもこの劇団の演出を行っているが、今回は特に小劇場の世代間交流を意識しているようだ。


 作品は、鼠小僧によって「時間」を奪われた世界で、「あさぼらけの王」に仕える門番(流山児)が真の銭湯を探し求める、という滑稽(こっけい)で抽象的な枠組みに、遊女のジェニー(伊藤弘子)と農民演劇を志す青年の心中未遂と、飢えた浮浪者たちの話が断片的に組み込まれている。前者にはブレヒトの「異化効果」の演劇の、後者にはベケットの不条理劇の残響を聴き取ることができるが、変化なき世界へのいらだちと漠然たる反逆の肯定が断片的なエピソードを支配している。


 テキストは言葉遊びと反復を多用した独特のリズムを持ち、それは作品のテーマともあいまって焦燥感に近い感覚を生み、最後の立ち回りがカタルシス(感情の解放)になる。ミュージカル仕立てで、ダンスにもう少し美しさが欲しいが、音楽は古臭くなく親しみやすい。

上演は当時の熱気を伝えつつ、深刻ぶらず軽快にアングラ劇の古典を復活した。

 

浮世混浴鼠小僧次郎吉』 週刊「マガジン・ワンダーランド」第29-30号     村井華代(西洋演劇理論研究)

◎相対化された「子之刻」=日本の「ゼロ時間」  

 今回の流山児★事務所公演は佐藤信の1970年の戯曲『浮世混浴鼠小僧次郎吉』である。演出は流山児★事務所五度目のゲスト演出となる天野天街。社団法人日本劇団協議会の「次世代を担う演劇人育成公演」枠の公演でもあり、事務所のアトリエSpace早稲田開場10周年記念公演第二弾にも当たる。流山児祥によれば、Space早稲田は、この戯曲が初演された「アングラ」発祥の地・六本木アンダーグラウンドシアター自由劇場の当時の空間に「そっくり」なのだそうだ。

▽「あさぼらけの王」とは何か

 さて印象から言えば、個性際立つ役者たちが素晴らしい。映像の使用も巧妙で、音楽(荻野清子、珠水)も耳に残って癖になる。天野演出は初見だが、ノイズ場面の挿入で分断を繰り返しつつテンポを上げてゆく展開は面白い。が、何の話なのだかわからない。戯曲を読んでなかったせいか、それにしても上演が終わっても肝心の劇の筋が皆目つかめないとは…。

 ようやく話の糸口がつかめたのはアフタートークに入ってからだ。佐藤・天野を交えたトークの中で、流山児祥が言った。「初演(演劇センター68/70、佐藤演出)のときは『あさぼらけの王』は180センチくらいある巨大な男根だったんだよね。」ああ、それでは−言うに及ばず、巨大な男根とは巨大な父、一神教的抑圧のシンボルである−今見た舞台は元来、日本の巨大な男根=天皇制をめぐる物語であったのか!

 そうなると、話は一挙にわかりやすくなる。奇妙なのはむしろ、この上演を一見しただけでは、そうした原作のイデオロギーに思い至りさえしなかったということだ。

 なぜそうなったのか確かめるべく、佐藤信の戯曲をまとめ読みしてから二度目を見た。従って今回の記述の視点は、1970年という時代と切り離せない戯曲が2007年の今日演出されるにあたり、どのように捌かれたかに絞られている。なお戯曲テクストは『嗚呼鼠小僧次郎吉』(晶文社、1971)に収録された版に依拠した。

▽「子之刻」の転変

 現代ドイツを代表する演出家クリストフ・マルターラーに、『Stunde Null(シュトゥンデ・ヌル)』という傑作がある。Stunde Null即ち「ゼロ時間」とは、一般には1945年のナチスドイツ崩壊・敗戦によってドイツの歴史が灰燼に帰した瞬間を指す。舞台には、特に筋も人物もない。マイクに向って「これでよかったのだ、よかったのだ」と演説を繰り返す中年男たちがおり、そのうちの一人が「ゼロ時間夫人」と呼ばれる老婦人に「質問してよろしいですか、ゼロ時間夫人?」と話しかけると必ず無言で平手打ちを食らう。バカバカしい笑いの中、ドイツの饒舌な戦後言説に対する手痛い皮肉が見え隠れする。

 全5作からなる佐藤信の『鼠小僧次郎吉』シリーズ(1969-71年)に一貫して登場するキーワード「子之刻」は、まさしく日本の「ゼロ時間」だ。「子之刻」とは伝説の義賊鼠小僧のコードネームだが、時刻としては深夜零時前後の日付の変わり目であり、佐藤作品では原爆の投下、敗戦、玉音放送という日本の“終末”として表象される。

 原作戯曲を一通り浚っておこう。シリーズ第2作『浮世混浴鼠小僧次郎吉』は、第一作『鼠小僧次郎吉』の設定を大体において引き継いでいるが、殊更に強調されているのは“時”だ。ある朝、「針のついていない柱時計」を背負った「門番」が、三人の女と「まったくいつもの朝」の平和な挨拶を交わす。ところが、この女たち(「へへ」「そそ」「ぼぼ」という、いずれも女性器の俗称)が告げるところによれば、夕べ「大きな青い星」が流れて世界は一面焼け野原となった。昨日と同じかに見えた田圃や小川の風景も、今朝となっては実は銭湯のペンキ絵にしか過ぎないマガイ物なのだ。その事実に驚愕する門番の上に、「『あさぼらけの王』とあがめたてまつられる物体」が突如降臨、「王」の命により門番はペンキ絵の中の「真の風呂屋」を探しに出かける。

 一方、件の流れ星に願をかけ、左眼に黒い星の刻印を受けた五人の「鼠」が集結する。「下水道のはずれの四畳半」に溜まり、拾い食いで生きる「戯作者(鼠一番)」「ちゃりんこ(鼠二番)」「浪人(鼠三番)」、農業演劇の理想に挫折した「役者(鼠四番)」、そして男の子が産みたいのに女の子しか産めない紅一点「川底女郎のジェニイ(鼠五番)」。一番は、かの流れ星は鼠小僧次郎吉の化体であり、「希望の明星」であるとして、四人に連帯を呼びかける。かくして鼠族として共闘を始めた彼らは、まず銭湯

を探しにきた門番を騙し、「あさぼらけの王」と共に風呂の下水に流してしまう。ところがその鼠たちに三人の女が忍び寄る。女たちは目隠しで五人の目をふさぐと、得体の知れぬ大釜のスープを食べさせ、彼らが呆けている隙に「子之刻」へのカウントダウンを開始する。目隠しされたままの鼠たちは怯えるが、「子之刻」を過ぎても何も起こらない。

 通常の時間の流れで言えば、 “終末”= 「子之刻」からこの物語は始まったのであるから、この「子之刻」は二度目ということになる。しかし、原爆投下で時計の針が“その時間”に焼きつけられたように、「子之刻」の到来以降、門番の背負う時計の針は失われ、人々は「子之刻」から「子之刻」へと至る宙吊りの時間の中に閉じ込められている。止まった時間の中では、新たに生まれてきた赤ん坊(劇中に何度も現れる蕪は子供の頭の比喩)は片っ端から殺され、大釜に入れられ食われてしまうのだ。鼠たちが口にしたスープの具も、実は五番が生んだばかりの女の子だった。

 少なくとも流れ星は「希望の明星」ではなかったのだ。カタストロフの中、鼠たちは目隠しを裏返して日の丸鉢巻に変え、流れ星への特攻を試みる。「目標は、青空のかなた−きらきら銀いろに光りながら、ゆっくりと弧を描く、あの流れ星!」 だが、特攻するにも遅すぎた。それを嘲笑うように門番が復権のときを迎える。「千人入れるローマ風呂」を目指し熱海へ進軍する門番。その傍らには金髪になってガムをくちゃくちゃいわせる三人の女。「いまこそ与えん」と見栄を切る彼女ら「猫族」と、鼠小僧スタイルに変身し「いまこそ盗まん」とする四人の男鼠が火花を散らす。

 そして女鼠五番の前に現れたのは、復権したと思いきや、血まみれで逆吊りになった門番だった。「あさぼらけの王」を抱いたまま、彼は五番に「おっ母さん」と訴える。  「おろしておくれ−背中の時計。針が焼きついちまってるんだ。時計が重い。……このままじゃ、永久に、もう永久に子の刻−おっ母さん!」  五番は「ためらう−が、決心して門番を突きさす」。そこに鼠一同勢揃いして、テーマ曲を歌う。

   ああ うちたいな うちたいな 天にかわりて 不義うちたいな

 彼らがトレードマークの頬かぶりをとると、その顔に「無残なケロイド」が見える。

▽男性的時間と女性的時間

 見事な佐藤信論を著したグッドマンを借りれば、無印『鼠小僧次郎吉』には、目的と方向性を持つ鼠たちの「男性的な、陰茎的な時間」と、無目的な永続の中にたゆたう三人の女の「女性的な、月経性の時間」が対置されている(グッドマン『富士山見えた─佐藤信における革命の演劇─』白水、1983)。救済を求めた男鼠たちは「王」の退位した新たな時代の到来を待望するが、女たちはその時々の「王」に寄り添うのみである。「この世に男と名のつく突撃棒が何本あるかは知らねえが、その棒の数だけあたしは違った世界を見ることができるわさ」と見栄切る彼女らにしてみれば、世界は常に、多様なだけで均質な、無限の運動にしか過ぎない。どこにもとどまらない彼女らは、二度目の「子之刻」、つまり敗戦以降は金髪のアメリカ人に変身する。恐らく、彼女らは憲法、安全保障から給食の脱脂粉乳、やがてはディズニーワールドに至るまで日本に「与えん」とするのだろう。男鼠たちは、受動的に与えられることを拒み、能動的に(何をかは不明だが)「今こそ盗まん」として戦いを挑む。が、決着はつかない。

 結局、男性的/女性的時間の対立に一つのケリがつけられるのは、母と子という関係においてでしかない。ムッソリーニの如く逆吊りにされ、永遠に「子之刻」の罪科に苛まれようとする門番に対し、単純な死という救済を与えるのは母親である五番だ。大釜=戦争の災禍のそばで、五番は「殺される。みんな殺される。決して−もう、決して、男なんて生むものか。生んでやるものか」と呟く。彼女は戦争で死ぬ全ての男たちの母であり、またその男たちを産む母たちの母でもあり、日本という国家をなす全ての命の源流でもある。殺されるばかりの子供を産み続ける彼女が流れ星にかけた願いは、自分を殺してこの循環を断ち切ってくれる息子を産むことだったが、その息子は逆に彼女に殺されることを哀願するのである。

▽天皇制へのマナザシの差

 さて今回の流山児★事務所公演の天野天街演出に目を移そう。  天野演出は、明らかに戯曲のイデオロギー性よりも、破綻する「時」の描写に重点をおいている。何の脈絡もなく巨大な時計針が突き出してくる、同じ台詞を20回も30回も反復する、原作では「30秒前」から「5,4,3…」と順当に続く「子の刻」へのカウントダウンを、「5秒前」から「25秒前」に、「15秒前」から「16秒前」に差し戻して何度も場面を「巻戻し」して見せる、立ち回りが突然タンゴやワルツに変わる、回る傘にプロジェクトされる無数の時計等々、時間の順当な流れが寸断され反復されるというイメージは何度も登場する。戯曲『浮世混浴…』は、元来が狂った時間のハザマの話なので、こうしたイメージを基調にするのも理解できる。実際、演出は「敢えて改訂を最小限にとどめ」(天野パンフ巻頭言より)、原作の構造を70年当時のまま浮かび上がらせようとしたようだ。

 が、最小限とは言え、「今日的」視点から手を加えることで劇の全体像は随分変化し、原作戯曲の一貫性から天野演出における全く別の一貫性へと完全に移行している。一部箇条書きすると、

★ 原作では門番はただ「門番」で、何の門番なのか示されていない。 → 上演では門番(流山児祥)に「時の門番」と台詞で語らせている。
★ 原作の門番の針は最初から「ついていない」とト書きに指定あり。 → 登場時にあった針は途中で消え、門番が驚く場面が挿入されている。
★ 「子之刻参上」のメッセージは赤子の産着に現れる(子供の大量死の予兆) → 針の消えた時計に「子之刻参上」の貼紙が残されている。つまり針=時の秩序を盗んだのは鼠小僧次郎吉=流れ星。

 いずれも、上演で示された“盗まれた時間の物語”(エンデの『モモ』?)の一貫性を支える、非常に強力な加筆である。が、やはり何より決定的にこの劇の全体的イメージを変貌させているのが「あさぼらけの王」だろう。天野演出の「王」は、振付担当でもある女優・夕沈によって両性具有的な子供として演じられている。時計の針が消えたと同時に登場、あたかも流れ星=原爆によって止まった時間の裂け目から「王」が生まれ、「時の門番」を征圧したかのように見える。

 冒頭で述べたように、佐藤信による初演の「王」は、巨大な男根の偶像=天皇制のシンボルとして登場した。もとより「王」がどのような「物体」なのかは戯曲に指定されていないので、どういう姿にするかは演出家の解釈に委ねられる。しかし、この物語の中枢に天皇制が据えられていることを示すなら、「王」は嫌でもそうした明瞭な象徴物として登場しなければならない(D. グッドマンも「作品の論理からいっても、そうでなければならないのである」と言う)。しかし天野演出における正体不明の子供たる「王」は、それ自体が擬人化した“終末”か、あるいは混乱した時間の中で遊ぶ座敷童子のようだ。そこに日本の天皇制への批判的マナザシは介在する余地がない。

 結果的に、上演ではこの「あさぼらけの王」によって、天皇制や戦後体制への批判という原作戯曲のギラギラしたイデオロギー性は殆ど感じられなくなった。それで筆者も必然的に何の話かわからなかったわけだが、よく見れば、パンフのキャスト表の夕沈の役名は「あさぼらけの王」ではなく「門番2」になっている。「あさぼらけの王なるぞ」と自称したにも拘らず、どうも最初から「王」ですらなかったらしい。36年前から比べると、何という地位の失墜だろうか。その落差はそのまま、36年前の日本における天皇制へのマナザシと、今日のそれとの差でもあろう。

▽上演構造の中心が移動

 しかし、二度目によくよく注意して見たところ、戯曲のト書き通り太平洋戦争開戦のラジオ放送や玉音放送も流れ、原爆投下を含めた第二次大戦中の映像も挿入されている。視覚的演出においても、「あさぼらけの王」が日の丸の旗の中に消えたり、門番が傘を積み上げて作った日の丸の赤い部分から立ち上がったりもしている。つまり、ヒントは多く与えられていたのだ。が、それを劇の中心と捉えるほどには意識できなかった。それだけ上演の構造の中心が、初演時のそれから移動しているのだ。

 太平洋戦争という伏線よりもはるかに印象に残ったのは、無力でも前向きな鼠たちの姿である。原作にあった門番と「王」を下水に流すという彼らの唯一のテロ活動が、天野演出では三人の女によって行なわれてしまったので、結果的に鼠たちはラストの三人の女猫族との立ち回りまで特に行動もないまま過ごしている。その立ち回りでも、一番(イワヲ)は徒手空拳だが、鼠三番(甲津拓平)はこけおどしの竹光、四番(阪本篤)は心中に使ったが死ねなかった(芝居の小道具のような)ドス、二番(里美和彦)は少年の宝物たる小さいナイフと、それぞれ個人的でナイーヴな武器を真面目な顔で振りかざす。それらの武器は、持ち主と同じく、大した力を持たない。しかし天野演出は、無力でも/だからこそ立ち向かうしかない、と訴えているようにも見える。ちなみに立ち回りの音楽は、学生運動を彷彿とさせる『インターナショナル』だ。

 戯曲のラストで鼠たちの顔を覆っていたケロイドも、天野演出ではカットされている。鼠たちは傷ついてもおらず、絶望してもおらず、下半身のみ迷彩服という変則鼠小僧スタイルで、来るべき何かをきりりと見据える。そして原作では血まみれで逆吊りだった門番も、天野演出では傷ついてはいない。ふらりと出てきて、五番(伊藤弘子)に「おっ母さん」と呼びかけるだけだ。戯曲では大きな比重を占める「おろしておくれ−−背中の時計」という叫びも削除され、門番は五番が手にした時計の針に静かに刺されて死ぬ(門番の守っていた古い時間をリセットし、鼠たちが新たな時代を拓くことを意味するのだろうか?)。戯曲では最後まで門番に抱かれていた「あさぼらけの王」も、いつの間にか消えている。何が何やらわからぬうちに、観客は鼠たちが凛と立つカッコよさを呆然と見守る他ない。

▽佐藤信のマナザシの先

 何となく映画『うる星やつら・ビューティフルドリーマー』を思い出す。ラムたちの学園が学園祭前日という“永遠に終わって欲しくない楽しい一日”の中に閉じ込められる。白い服を着た正体不明の少女が現れるたび、その時間の閉鎖を破ろうとする人間が消えてゆくという話だ。コミケや小劇場ブームを生み出した80年代の感性の中では、さほど日本人という国家的アイデンティティに危機を抱くこともなければ、「子之刻」に絶対の根源を見出すこともなかった。そのドラマトゥルギーの中では、災厄を引き起こす原因は、政治や歴史や経済であるよりも、少女の無邪気な夢である確率の方が高かったのだ。

 現在をその80年代の続きと位置づけるならば、天野がパンフレットの巻頭に寄せた、「彼(か)の時代(1970年)にブチまかれた観念と彼(か)の時のクーキを呼吸する役者にあてられたコトダマ」を「『ワタシタチ』に移植する」という試みが一筋縄ではいかないことがわかる。少なくとも天野のマナザシは−この戯曲を選んだのは彼ではないのだから当然だろうが−日本の「子之刻」1945年を射抜いていたというよりは、1970年に向けられていたのではないか。佐藤戯曲の政治性や歴史性を薄めて上演しても、佐藤戯曲を上演し、その「コトダマ」を聞いたことになるのだろうか?

 もちろん、ここでその是非を決めつけるつもりはない。上演に視点を絞れば、天野演出による『浮世混浴…』はそれ自体一貫性とパワーを持つ一個の作品として成立しているのであるから、それ以上に何をか言わんやである。戯曲の伝えるものをそのまま出せばいいというわけでもなければ、特定のカラーがあるから可、ないから不可というわけでもない。重要なのは、今日の上演のために、テクストとどう向き合うかということでしかないのだから。してみれば、天野が「ソノ時もそして今もただ『ソレ』でありつづける『ナンカ』が匂ったらいい」(同上)と言うところの「ナンカ」は、戯曲の内的構造やそれを支える政治性の中にではなく、小さな劇場の中で共有される空気−劇場でなければならない何か−の中に匂っていたのである。或いは、流山児の言う「集団的営為でしかない演劇の『他者性』への『楽しいこだわり』」(パンフレット挨拶文より)の中に。その「ナンカ」は、劇の内的構造云々より、よほど本質的なことかも知れぬ。

 ただし、劇の内的構造における「ナンカ」を追求する演出家、つまり1970年の佐藤信のマナザシの先にあったものを共に見ようとする演出家は、別の道を進まねばならぬ。そうした演出家が、この36年間への批判を含め、2007年の視点で斬る『鼠小僧次郎吉』は、さぞラディカルな、犯罪的な芝居であろう。

 最後に強調しておこう。佐藤信の戯曲は今日こそ上演されるべきである。その形式は全く古びておらず、むしろ今日的禁忌をこそ真っ向から侵犯するものだ。

 筆者もそうだが、後から来た世代は、現在の彼の演出家としての存在感の大きさから劇作家としての功績を見落としがちであるし、読めば読んだでその余りの“ヤバさ”に怖気づいてしまう。しかし、佐藤と同じくブレヒト演劇の落とし子であるハイナー・ミュラーやフランク・カストルフといった現代ドイツの前衛的政治演劇が日本にも多く紹介された今日、佐藤戯曲の上演が持つ可能性は、70年代より大きいかもしれない。佐藤戯曲をいかに上演するかという問いから、日本における政治と演劇の関係を再構築する契機も生まれるのではないか。今回の流山児★事務所の公演は、そうした「今日的」上演の一例として、ジャンプ台にも、議論のタネにもなるはずである。


『オールド・バンチ』  「シアターガイド2006ベストステージ」

高齢者演劇という前代未聞の試みを越えた人間が生きる事の素晴らしさ伝えてくれた快作。劇場全体が祝祭空間であった。久しぶりに「演劇の力」を痛感。

 

『オールド・バンチ』  「テアトロ」2007年2月号     「かぶく精神が映える」 中本信幸

遊び心、かぶく精神のなせるわざか。ひろく推したい芝居、この路線をいっそう大胆に押し進めてもらいたい。

パラダイス一座の『オールド・パンチ』(脚本=山元清多、演出=流山児祥)は、客席を笑いと共感の渦で沸かし、舞台と観客が一体となって生み出す芝居で、文句なしに楽しい。高齢者劇団・パラダイス一座の旗揚げ公演の大成功に万雷の拍手を送る。芝居芝居した銀行強盗の話だが、その荒唐無稽さが現実離れしない今日この頃である。

 即興演奏される(?)音楽を担当し自ら舞台でピアノ演奏する「謎のミュージシャン」役の高橋悠治が出だしから進行係をつとめるかのようだ。舞台こそが自由奔放、天衣無縫、融通無碍が許される パラダイスで、一座の面々の個性あふれる立ち居振る舞い、存在感に感服する。お年を召した方のほうがサマになる。当年90歳の現役最高齢の演出家戌井市郎がしぶい喉で 新内を朗々ときかせ、演出家、劇作家瓜生正美の反戦の訴えが痛切にひびき、演出家中村哮夫の美声と百面相、劇場経営者・俳優本多一夫の美男俳優のたたずまい、俳優・演出家の肝付兼太の芸達者ぶりが楽しい。ドイツ文学者・演出家岩淵 達治と能楽師・演出家観世榮夫の映像出演も迫力がある。

終幕後に藤井びん、塩野谷正幸、谷宗和、坂井香奈美、石井澄ら出演者一同を紹介し、本企画にたいする抱負をのべる流山児祥の気風のよさが印象に残る。後輩の俳優諸氏よ、一座の「かぶく精神」を受け継ぎ、俳優術の錬磨をゆめゆめ忘れることなかれ。

 

『オールド・バンチ』 「テアトロ」2007年3月号 「2006舞台ベストワン・ワーストワン」中本信幸

パラダイス一座による『オールド・バンチ』は、時の流れに棹さすメッセージを伝えつつ、舞台と客席が一体となって生み出す楽しい芝居だった。観客参加を狙いながら、舞台と客席との交流が生まれないものや、一人よがりの芝居の多い今日この頃であるだけに、パラダイス一座の舞台は暗夜を照らす灯台のおもむきがある。

 

『オールド・バンチ』 「テアトロ」 2007年3月号  「2006舞台 ベストワン ・ワーストワン」 高橋豊

ベストワンの一本は流山児★事務所が下北沢ザ・スズナリで上演した『オールド・バンチ〜男たちの挽歌』である。

 黒澤明の映画『七人の侍』の登場人物と同じ仇名を持つ高齢者の一団が、信用金庫支店へ強盗に押し入り、本店から大金を引き出した。ところが、彼らは支店長や本店部長を人質になおも立て籠った……。

 「パラダイス一座」の旗揚げ公演と銘打たれる。メーンの出演者が、演出家の戌井市郎の九十歳を筆頭に、演出家・瓜生正美八十二歳など、平均年齢が七十九歳である。肝付兼太、観世榮夫(映像出演)と俳優としても活躍する演出家もいるけれど、ほかはほとんど舞台に立ったことのない演出家や劇場経営者、作曲家、文学者が一座のメンバーだ。

 山元の台本が、時間軸に沿ってうまく構成され、役者それぞれの個性を引き出し、遊びやドンデン返しが巧みに仕込まれている。特に、瓜生は、台詞の中に自身の軍隊体験がいかされていて、「だれがなんと言おうが、あの戦争があったんだ」と吠える。パーティーの場面では、赤旗を振りながら革命歌を歌うのだ。

 九十歳の「新人」戌井が世話物での実力ぶりを発揮するし、五十三年ぶりの舞台という演出家・中村哮夫は口跡の良さで引き付ける。出演者の演劇を愛する心が伝わってくる舞台なのがいい。一座は今年冬、佃典彦の脚本で『続オールド・パンチ』を公演する予定である。

 さて、ワーストワンはNHK紅白歌合戦だ。DJ: OZMAの「裸騒動」以前に、番組の活力が消えて、立枯れ寸前なのである。『オール ド・パンチ』のザ・スズナリで、役者と観客が一体となって歌った「青い山脈」に通じる、エンターテイメントの楽しさがなくなっている。

 

『オールド・バンチ』「シアター・ガイド」 2007年3月号 STAGE GALLERY 映

演劇界の重鎮が集まったシルバー劇団の旗揚げ公演。いつもよりちょっと大人なスズナリの客席が大フィーバー。劇中の老人強盗団が繰り出すとぼけた言動に爆笑、カーテンコールでは「戌井先生〜」なんて声も。

戦争体験を語る場面、出演者の特技を披露する場面・・・すべてが彼らの自身の生きてきた道のりと二重写しになって見え、「生きて、芝居する」ことの意義を深く知る。

どうか来年も「青い山脈」を合唱できますように。 

 

『オールド・バンチ』  「シアター・ガイド」2007年3月号 「劇顔」 尾上そら

ひとつのことをやり続ける。それが10年20年とて易しいことではないのに、戌井市郎はかれこれ70年演劇にかかわり、演出家として舞台と俳優を生み出し続けている。そのうえ「演劇と違うかかわり方がしたくなった」と、ン10年ぶりに役者に挑戦。

平均年齢70歳超の役者が集うパラダイス一座。仕掛人・流山児祥の狙いはまんまとハマリ、義に厚い老年銀行強盗一味の活躍は客席を沸かせ、戌井も爆弾作りの勘兵衛として飄々と舞台で遊んだ。

 

『オールド・バンチ』  「悲劇喜劇」  2007年3月号 「対談:演劇時評」 香川良成・岩佐壮四郎・高田正吾

高田 流山児★事務所で三年間限定のパラダイス一座という高齢者劇団を立ち上げた第一回目ですね。
「オールド・パンチ〜男たちの挽歌〜」。山元晴多作、妹尾河童美術、流山児祥演出、ザ・スズナリです。 これは出演者が異色で、戌井市郎、瓜生正美、肝付兼人、中村哮夫、本多一夫、映像出演が岩淵達治に観世榮夫。

香川 戌井巾郎さんが九十歳。 中村哮夫さんいわく、「僕なんか若者だよ」と、七十五歳で。そういう一種の
お祭りといえばお祭り。大黒信用金庫の支店の店内が舞台で、寿町支店というんですか、そこにその一行が押し入る。 ところが実は銀行強盗であったという一種の笑劇、ファルスなんですけど、まあオールドパワー全開で。 僕が感心したのは、この人たちがかなりの 台詞をプロンプ無しでちゃんといったこと。いやあ感心しましたね。

高田 かなり前から稽古したようですね。

香川 元寿町支店長だったのが本部に行って、本部の部長になった男が女店員の人質として来ますよね、そこの支店長もいるんですけども、結局いろいろやっているうちに、そこの女子事務員二人が、一人のほうは本店の部長との浮気、妊娠して手切れ金を何百万もらったという、それから部長のほうも、やっぱり手切れ金を払ったことが明らかになったりとか、そのうち今度女子職員のほうも逆に居直っちゃうとか、それで宴会が始まりますよね。

岩佐 そうそう。

香川 そしてそれぞれ、戌井さんが新内、瓜生さんが革命歌、中村さんがシャンソン、落語をやったり、歌謡曲をやったりとか、お祭りの宴たけなわで、しかも映像で出る岩淵さんは三億を下ろすん だけども、若い女性に持ち逃げされちゃって、観世さんのほうは工場を始めるが、借金で形に取られて破産したとか、とにかく僕は頭から最後まで笑いっばなしで、流山児というのはなかなかの仕掛人ですね。お祭り好きなんでしょうけども、よく集めたなと思って。七人に音楽の高橋悠治、美術の妹尾河童を加えると平均年齢七十九歳だというんですから、僕なんか若者ですよ(笑)。頑張らなくちゃと思いました。いやいや 驚いた。元気もらいました。

岩佐 最後に流山児の指揮で「青い山脈」を客席も入れて大合唱する。

高田 
ええ、合唱させられましたり

岩佐
 若い観客も結構よく歌ってましたね。ただ、高橋悠治と、営業本部長役の塩野谷正幸だけは合唱に加わらずに、憮然としている。こういうところもなかなか心憎い演出だった。

香川 そうですね。流山児演出もよかったですね。流れてた。

岩佐
 脚本もよく練られている。

香川 あて書きなんでしょうね。瓜生さんはもと兵隊という。

岩佐
 瓜生は戦中派で、支店長は戦後生まれ、団塊の世代ですが、戦中派が自分の体験した戦争の悲惨さを語ってこんこんと諭す。ここで瓜生のいう「あったことをなかったことにしてはいけない」という言葉はどこかで 聞いたことがあると思ったら、「ロープ」で宮沢りえがしゃべる台詞でした。しかし瓜生の口から出
ると説得力がある。老人連中も言いたい放題、やりたい放題あげくのはてには、老人に勇気と希望を与えて(笑)、若者にも老人の言葉に耳を傾けるべき機 会を与えた流山児の敬老の心がけ(笑)をほめてやるべきじゃないか。

香川 来年もやるそうですから。

岩佐 なかなかあっぱれな敬老精神 (笑)。

香川
 まさか戌井さんのお芝居を観るとは夢にも思わなかったですね。

高田 ほんとに、お元気ですよ。楽しませてもらいました

 


 

『狂人教育』  季刊 『シアターアーツ』  2006年冬 29号 江森盛夫 

流山児★事務所公演『狂人教育』(作=寺山修司、演出=流山児祥)ベニサン・ピット。寺山の唯一の人形劇台本を流山児が華麗にショウアップしたこの作品は、一九九九年に韓国ソウルで世界初演して以来八年間、全世界三十余都市で五万人以上の客を集めたという。

今回の公演はいわば凱旋公演でもある。そしてさらに踏み込んだ上演を目指して、A, B, Cの三チームを組み、それぞれAチームは「NEWヴァージョン」、Bチームは「原テキストヴァージョン」、Cチームは「海外オリジナルヴァージョン」として交互に上演した。

私が観たのはCチームとBチームだが、Cチームは海外の観客が入りやすいヴィジュアルな要素を最大限にアップしたもので、Bチームのヴァージョンは、テキストが書かれた一九六二年にリンクさせて、六〇年安保闘争の騒乱の映像がバックに流された。海外の劇評はいずれも、太鼓の生演奏、強烈な鋼鍵の苦、アクロバティックなダンス、衣装、フェイスペインティングなど音楽的インパクト、ヴィジュアルの誘引力を総じて強調している。これが公演の成功の鍵だったのだろうが、作品の核でもある普遍的なテーマにも言及している。

平凡な家族の中に誰か一人狂人がいるという噂が家族の他者性を発症させる、芝居の中の人形遣いも芝居の作者に操られ、作者も何かに操られているという不可知への 慄きなど寺山の基本的モチーフが感受されたのだろう。今回の上演はそれらを十分裏付けたものだった。

 


『無頼漢』  『映画芸術』  2006年秋417号 伊藤裕作

 ぼっちゃん首相の美しい国内閣とやらが発足したが、自分のしていることを美しいといえる神経が気にくわねえ。 なんだって、大学入学を九月にして若者に四月から九月までボランティアに励んでもらうだって。
そうやって、知らず知らずのうちに、徴兵制へ持っていこうって算段かい。
 それにしても、こんなまやかしだらけの偽善の為政者の支持率が七十パーセントもあるというのも不可解だ。
 この国は一体全体どうなってるの? 
  こんな為政者に対しては断固NOだ。
 そういうことをハッキリというメディアがないと、この国はとり返しがつかないところへ行っちまう。
 これがいえるメディアがアングラ芝居。わたしはそう思って、アングラ芝居とずーつとつき合ってきた。今どき、そんなことははやらないって? はやらなくても、やってくれる輩がいるから、アングラ芝居巡りが止められない。

 探せば、ある。こんな芝居が――――。 

 ぼっちゃん首相の美しい国内閣が発足するニヶ月前の七月十五日に観た流山児★事務所公演「BURAIKAN」 (脚本=佃典彦 演出=流山児祥)は、そんな日本の今を、徹底的におちょくりまくるアングラ歌舞伎だった。
 この芝居の原作は、映画『無頼漢』(篠田正浩監督)で、シナリオは寺山修司。

その寺山が、この作品について自らこんなふうに記している。
当時禁圧されていた酒落本、歌舞伎、花火など町人芸術は、現代のアンダーグランド・アートによく似た時代感覚を内包しており、その反抗は解放をめざすものであった〃

 ちなみに、このシナリオには種本があった。天保の改革の時代に裏街道を歩いた河内山宗俊をはじめとする六人の無頼の物語、講談、“天保六花撰”を河竹黙阿弥が脚色、一八八一(明治十四)年に上演した歌舞伎“天衣紛上野初花”で、寺山はこの六人を御上からの改革に対しNO!を突きつける者としてとらえ、七〇年の全共闘運動のさ中に、この闘う者どもの物語を提示したのである。あれから三十数年がたち、世襲のぼっちゃん首相が好き放題をやろうとし始めている二〇〇六年。二〇〇五年の岸田戯曲賞佃典彦は、百六十五年前の水野忠邦の天保の改革を、忠邦が人々からは好感が持たれるように整形しまくり美しい顔になろうとした顔面改革だったとし、美しい国内閣の改革も所詮はその類と茶化すのである。それだけじゃない。佃はこの物語の主人公、片岡直次郎(池下重大)を、かって御上御用達の劇団「志気」に所属していた役者に設定し、はまぐり慶太なる演出家 (悪源太義平)を登場させておちょくってみせる。

 さて、流山児版アングラ歌舞伎「BURAIKAN」のストーリーはというと、河内山宗俊 (下総源太朗) と金子市之丞(塩野谷正幸)の水野忠邦の首をとろうとするお祭り一揆計画が、誰かの密告によって頓挫する。これを機に、水野は、自分が江戸の庶民に人気がないのは、面相が悪いからだと顔面整形、顔面改革に取り組み始める(整形前の水野役は流山児祥。整形後は美しい伊藤弘子)。
 そして、清く正しく美しく。ここいら、平成の今の日本の改革とよーく似てる。
 そんな改革にうんざりの庶民の間で、また一揆の話が煮つまっていく。今度は河内山のソックリさんを先頭に立てての“なりきり一揆”。このとき、直次郎もやる気マンマンで、こんな科白がある。

 「血肉躍るエログロナンセンスで人間の不条理暴きだすような芝居作ってよ。オエドの民衆を眠りから覚してやるんだよ」
 異議なし、である。 これこそがアングラ芝居の真骨頂。

 ところで、最初のお祭り一揆のとき権力側に河内山らをチクッたのは誰だったのか? ラスト近くに直次郎の母おくま(青木砂織)が、「私が前のときみたいに役人にバラしておればよかったんです」
という科白で種明かしされる。このシーンに、わたしは七〇年の闘いの全てを観た。アノ時、わたしたちは、「止めてくれるなおっかさん」と、母親を振り切って、マザコンの自分と世の中を変えようとしたハズだったが、それも母親の手の内のことで結局はままならず、この「止めてくれるなおっかさん」の言葉の総括もしないまま、父になり母になった。そして今、この世代はそのジュニアたちとの間に立って判断停止状態に陥っている。そんなわたしたちの世代をヒョイとまたいで変人からぼっちゃんへ、日本の首相は変わってしまった。

 肝心なことの総括が出来なかったのだからこれも止むなし、とも思うのだが、でもやはり、流山児アングラ芝居だけ観て「異議なし」と心の中で叫んでいるだけというのも、なんかちょっと口惜しい。
 なんとかしろよ、流山児! こう演劇無頼の親方を煽(アジ)ってこの項ジ・エンド。

 

『無頼漢』 雑誌「文藝軌道」2006年10月号 野平昭和「2006年夏の舞台」

 「流山児★事務所」原作・寺山修司 映画シナリオ『無頼漢』より 脚本・佃典彦・演出・流山児祥 パンフレットで演出の流山児祥が書いているように、一九七〇年(大阪万博のあった年)に寺山修司が篠田正浩監督と組んで、七〇年安保と天保時代の江戸の権力政治とのコレスポンデンスとして描いた戯画約手法のシナリオを、佃典彦が「今」の時代に、「今」の時代を、ミュージカルの形で創り上げたものである。

  音楽を字崎竜 童が担当し、映像を天野天街が引き受け、美術、照明、音響、振付、殺陣等、贅をつくして長期間かけて錬り上げた舞台であることは、開幕と同時に、観客の緊張感を強いるほどの高ぶりを見せていることで充分伝わってきた。

 寺山修司のシナリオに触発されたとしても佃典彦の戯曲として捉えれば、天保の改革を 企て失敗した老中、水野忠邦、実在の恐喝犯をモデルにした河内山宗俊を中心に据えた黙 阿弥の「天衣紛上野初花」と小泉改革と現代の世相をダブルイメージで劇化展開し、風刺パロディを越えてヤケクソハチャメチャにまで絶叫悲鳴の「歌」を怒号する舞台の狂騒的エネルギーの爆発は、アングラ演劇誕生の時のエネルギー噴出を見る思いで、現代を撃つ方法としてはやはりこのやり方しかないのだとも思わせる魅力溢れる力強い舞台だった。

 佃のホンではあるが直次郎とおくまの姿に、終始一貫母子物語を描き続けた寺山修司の亡霊を見て、胸がいっぱいになった。末尾ながら六十年安保から「佐倉義民伝」を書いて宗吾を生き返らせ、左翼陣営から自主上演禁止された花田清輝を複雑な気持ちで思い返した。流山児祥、観世榮夫の水野はじめ塩野谷正幸、悪源太義平、伊藤弘子等流山児★事務所の強力役者群に沖田乱、下総源太郎等の出演も加わって多彩だった。   

 

『無頼漢』 「週刊金曜日」  2006年7月28日号 高橋敏夫「金曜ぶんか観客席」

1970年、路上の騒乱をたっぷり吸いこみ派手やかに出現した『無頼漢』(寺山修司脚本、篠田正浩監督)が、36年の後、自他ともに認める劇界一の「無頼漢」集団=流山児★事務所の、毒々しくにぎやかな時代劇ミュージカルとして回帰。「新しい戦争」の持続可能な秩序作りのすすむ、息苦しい格差社会の中心部 で、見事に炸裂した。 

 秩序の飼い犬をこばみ、権力者の跋扈を憎悪し、ここにはないそれぞれの夢にむかって6人の「悪党」が乱舞する、悪坊主河内山宗俊、もと役者の直次郎、暗闇の丑松、謀反の剣客金子市之丞、盗賊の元締め森田屋清蔵、花魁三千歳―――とくれ ば、講談「天保六花撰」から歌舞伎の「天衣紛上野初花」へとながれこんた極彩色の「悪」の水脈である。

 かつて寺山修司がほりあてた水脈を、脚本の佃典彦は、現代へと果敢に導く。悪党たちは、名前をそのままに、秩序維持のための規律調教と格差への改革とが人々をしばりつけている現在へと躍りこむ。「権力は倒れない、変わるだけだ」としても、「まだ一度も記述された事の無い歴史と出会う」(寺山修司)「悪党」は異形の違反者としての閃光を放ちつづける‥。

 唐突にあらわれでたアングラ的悪場所ゆえか、いつになく役者たちの動きと表情がいい。ことに客演の池下重大の剛直なナイーブさは、観る者をわくわくさせる。斬っても斬ってもわいてでる敵を前に、宗俊と市之丞とのかわす「死ぬなよ」という言葉が、なつかしくもまた新鮮てあった。        

 

『無頼漢』  季刊「シアター・アーツ」2006秋号   新野守弘「批評の批評」

※今日の保守回帰の風潮を鋭く批判する舞台を見てみよう。(略)

流山児★事務所公演『無頼漢』(脚本=佃典彦、演出=流山児祥、べニサン・ピット)は、一度消え去った革命の機運を演劇的に再現することをテーマとするいかにも流山児★事務所ならではの熱い舞台だ。俳優たちには熱気があった。しかし、客席の雰囲気はあくまでも冷静である。この対比は冷酷なまでに厳然としていた。

 もともと『無瓶漢』は寺山修司が台本を書き、篠田正浩監督、仲代達矢主演で一九七〇年に映画化された。寺山の映画シナリオは、河竹黙阿弥原作の歌舞伎『天衣紛上野初花』、つまり河内山宗俊の物語を大胆に改作し、権力へ抵抗する民衆の祭りを描いている。時代は水野忠邦の天保の改革期。しかし禁欲的な改革は、狂乱の暴動を引き起こす。江戸市中に花火があがり、お祭り一揆で騒乱状態になるなか、水野邸に現れた河内山が忠邦に向かって「世の中は変わりましたぞ」と告げ、切られて死ぬ。ラストシーンは、縛った母を背負った直次郎が母を捨てに出掛ける寺山的な情景だ。

 二十六年後の今日、佃典彦の脚本は、反乱が鎮圧されたところから始まる。お祭り一揆で市中が騒ぐなか、河内山(下総源太郎)らが水野邸になだれ込み、捕手たちに切り殺される寺山のシナリオでの最後の場面が、すでに冒頭にある。すぐに反乱は鎮圧され、反動的な改革が全国民の二宮金次郎化というグロテスクな様相を帯びて強化される。このとき、かつて反乱の先頭にたった金子市之丞(塩野谷正幸)らの前に、河内山と瓜二つの男が現れる。

 彼らはこのにせものを使って河内山宗俊が蘇ったといううわさを流し、再び反乱を起こそうとする。つまりにせものの反乱から本物の反乱を起こす。ところで権力の側も実はにせものである。水野忠邦(観世栄夫)は、顔面改革、つまり美容整形で外見上若返った仮面権力者にすぎない。こうして反乱側と権力が互いににせものとして対峙しあうなか、邸になだれ込んだ反乱の首謀者たちによって水野は殺され、反乱の首謀者たちも殺される。  

映画が公開された七〇年当時とは異なり、現在の反乱は、まず過去の反乱のにせものの繰り返しとして始まる。冒頭と最後で、舞台奥の扇が開き、祭りの人々が舞台になだれ込むとき、反乱のヴァーチャルな印象が強まる。

 舞台で示された一九七〇年と二〇〇六年とのアイロニカルな距離は、劇場の外の冷たい現実と客席に座る私たち観客の現実が地続きであるという事実を突きつけた。

 


「楽塾版★十二夜」「シアター・アーツ」2006年夏号 江森盛夫     

  最近、蜷川幸雄が率いる五十五歳歳以上の演劇集団「さいたまゴールドシアター」が話題になっているが流山児は九年前に先鞭をつけシニア演劇集団「楽塾」を結成している。平均年齢五十五歳(全員女性、男性も初期にはいたが抜けてしまった)の「楽塾」が九周年記念公演を堂々と打った。初期は楽しい学芸会の域を出るか出ないかだったが、今回の舞台は目を見張るような成果で、九年間の研鑽が一挙に開花し、実に楽しい時間を過ごせた。

 とにかく全員自信を持って、ひるまず楽しく舞台に没頭して、演技の巧拙など歯牙にもかけない華やかなアンサンブルを創りあげた。彼女たちの実人生が舞台に昇華されて、それぞれの個性が驚くほど際立っていて、最近のプロの女優などには感じられない色っぽさが舞台にみなぎっていた。これも流山児の見事な指導の結実だ。

 シェイクスピアの原作を日本の時代劇に翻案して、原作の物語の骨格をきちんと残し、歌って踊って恋をする「楽塾歌劇」に構成し直した台本がしっかりしていて、誰でも知っている歌謡曲や流行り言葉を随所にはめて、役者も客もノセテゆく腕前は職人芸の極致といっていいはどだ。高齢者に限らず生活者にとっての「演劇」の役割を見直させる舞台だ。観客動員数すでに一〇〇〇人、来年五月本多劇場で公演する。


北京公演 劇評

『人形の家』

「モダンな感覚と日本の伝統的な音楽舞踊の要素に彩られたオペレッタ。その演技演出スタイルは再び中国演劇界を魅了し、衝撃を与えた」(北京晩報)

「伝統的な民衆芸術と不条理なスタイルが入り混じるオペレッタ。そのテクニックは中国の演劇ファンを歓喜させた。シンプルな装置に叙情的で時には荒々しい音楽と共に芝居全体のビジュアル性が豊かである。」(新京報)

 「人形たちが北京の観客の心を動かした!巧みな演技、独特のパフォーマンスが北京の観客を征服した。」(京華時報)

 「日本の林兆華:流山児祥によるモダン音楽劇は以前よりパワーアップし、視覚効果、視聴効果充分満足いく作品で舞台元素の総合運用と舞台を制御する能力を示し北京の観客を再び魅了。」(新京報)

 「悲しき都市の寓話 鳴り止まぬ拍手、再び実験演劇の観念を提示し、北京の観客を熱狂の渦に。(北京青年報) 

 

『静かなうた』

「芝居の中で言葉は全て取り除かれ、肉体と詩的感覚の残る空間のみが残される優秀な作品」(法制晩報)

9人のアーティストによる精神演技と感情解釈を用いた特殊な作品世界の何処でも起こりうる愛と死と再生の物語」(中国文化報)

 

 『ハイ・ライフ』

「間抜けな悪党がひとつのかごの中! 4人の表現力溢れる役者達が北京の観客を征服。タブー満載の作品。()規則に縛られて匍匐前進し良心をごまかして生き長らえている私たちと、自由自在だが失敗して落ちぶれている彼らと比べてどちらが「生きている」といえるか?()『ハイ・ライフ』は中国演劇の贅沢で派手な傾向に対して大きな風刺になっていた。シンプルな舞台と強い表現力で充分に「演劇の仮定性」の魅力と可能性を展開。」(新京報)

 「実にリアルで衝撃的ドラマ。舞台上で見る4人の前科者のたくらみや、筋肉の引きつり、呼吸の激しさ。観客全員が4人と一緒に現場にいるよう!」(法制挽報)

 「役者の研ぎ澄まされた演技が際立つ現代版のゴドーを待ちながら」(北京晩報)

 

北京で観た流山児★事務所『ハイ・ライフ』 瀬戸宏 演劇批評誌「あくと」9

  流山児祥率いる流山児★事務所がこの三月、北京で『人形の家』『静かな歌』『ハイ・ライフ』の連続公演をおこなった。流山児★事務所はここ数年、精力的に中国を含む海外公演をおこなっている。流山児★事務所の中国公演は、2002年『人形の家』、2005年『盟三五大切』(中国での上演は『狂恋武士』)についで三度目、上演都市はいずれも北京である。北京では北劇場という独立小劇場が流山児★事務所や少年王者館公演(『真夜中の弥次さん喜多さん』、2003年)を受け容れていた。北劇場は経済問題で行き詰まり、05昨秋に中央戯劇学院に買い取られ、事実上別の劇場になった。今回の流山児★事務所北京公演は解放軍歌劇院でおこなわれたが、これは再起を期す元北劇場:袁鴻(ユアン・ホン)の関係である。北京公演は316日から始まったが、私は勤務の関係で327日に北京に到着、翌28日に『ハイ・ライフ』だけをみることができた。三作はまったく異なる形式、内容で、他の舞台も観て北京の観客の反応を直接知りたかったがやむをえない。

 解放軍歌劇院は、以前は(解放軍)総政治部歌舞団の稽古場で、かつてここを借りて稽古中の前衛演劇人牟森に会ったことがある。まだ地下鉄がなかった頃である。近年改装され解放軍歌劇院となったらしい。牟森と会った時はいかにも軍隊の施設らしい武骨な外観だったが、今回来てみると現代化されたしやれた建物に変身していて一驚した。軍隊にも市場経済の波が押し寄せ、施設などの収益が強調されていることの現れか。 『パイ・ライフ』は、カナダの新鋭劇作家リー・マクドゥーガルの作で1996年初演。今回上演の三作の中では、比較的オーソドックスな台詞劇、話劇である。流山児祥演出二百本記念作で、2001年にシアター]カナダ演劇祭の一環として初演され、好評のため030506年に再演されている。2002年度湯浅芳子賞も受賞し、吉原豊司訳の戯曲も彩流社から2002年に出版された。流山児祥にとっても、大事な作品であり自信作に違いない。

 上演空間は、観ている時は気がつかなかったが、北京晩報の記事に拠れば、歌劇院の舞台を臨時に改造して小劇場の空間としたもの。舞台設備の整った小劇場がまだ少ない中国では、時々おこなわれる手法である。私が観た日は、超満員というわけではないが、ほぼ客席は埋まった。若い観客が多い。『ハイ・ライフ』は、一部映像を使っているものの、先に戯曲があり、ほぼ台詞に依拠して劇が進んでいくという点では話劇である。だが、その内容は中国の話劇にいまだ多い教訓的、予定調和的内容とは大きく異なっている。刑務所帰りなどアウト・ローの四人の男が、麻薬、酒に浸りきる日々を過ごしている。金が尽きてきた彼らは、銀行ATMを襲い金を強奪する計画をたてる。実際に計画を実行に移すが、彼らは仲間割れして計画は水泡に帰してしまう。暗い陰惨な物語の中で、観客はかえって日常生活では得られない痛快感を感じ取る。

 観客には中国語のあらすじが配布され、さらに上演中は舞台上方にスライドで中国語字幕が流される。演劇での字幕の使用は賛否両論あるが、今回はほぼうまくいっていた。原作の戯曲では、舞台は「質素でこぎれいな中流の家」という指定があるが、実際の舞台はいかにも小劇場的な抽象的空間である。

 『ハイ・ライフ』のような内容の劇が中国の観客にどのように受容されるか、今回の観劇の興味の一つだった。だが、観客の受容についてはまったく問題がなかった。私が特に強い印象を受けたのは、観客がよく笑うことだった。『ハイ・ライフ』はあらすじだけを読むと救いのない反社会的な話なのだが、北京の若い観客たちは俳優の演技と字幕を観て、反応すべきところでちゃんと反応する。今回の流山児★事務所『ハイ・ライフ』上演でもう一つ重要なことは、俳優の演技である。流山児★事務所はいうまでもなく小劇場演劇の系統に属し、俳優の演技も自発性を重視する。これに対して、中国では中央、上海両戯劇学院の存在にみられるように、ロシア経由のスタニスラフスキー・システムに基づく俳優教育の影響が極めて強い。ここで育った俳優は、基礎はしっかりしているが、命じられたことだけを忠実に実行する傾向が強い。もし戯劇学院出身俳優が『ハイ・ライフ』を演じたら、陰々滅々として暗く弾まない舞台になった可能性が強い。

だが、塩野谷正幸ら今回の流山児★事務所の俳優たちの演技はそうでない。北京の観客も俳優の演技を受容することができたのは、すでにみた通りである。

 層の厚さがどのくらいかは別にして、20006年の北京にはすでに日本と変わらない演劇観客層が形成されているのである。日・中間ではまだ相当な経済格差があるので収益は別だが、観客の入りや反応などからみれば、日本の一定の水準以上の劇団が北京で定期的に公演する体制を作っても十分に上演として成り立っていくだろうと思った。北京の演劇が一時期に比べれば観客が増大しているにも関わらず、いま一つ盛り上がりに欠けるのは、新しい観客層に対応した作品を生み出し得ていないからではないか、と思った。

                 (せと・ひろし/摂南大学・演劇評論家)

 


『ハイ・ライフ』「テアトロ」20067月号「男が生きる! 今日のドラマ」  村井健 

 男芝居といわれても、はてそれは何のことかと戸惑うのがふつうだろう。男が主役であれば、すべてそうなのか。しかし、そういってしまえば、対象は無限大に拡大してしまう。世の半数以上は男の芝居だ。洋の東西を問わず、五万とある。が、ここでは、あえて恣意に徹して、「男」を色濃く描いた演出家に絞って語ってみることにしよう。

 「男一匹」。この言葉のもっとも似合う演出家を一人挙げろといわれれば、真っ先に思い浮かぶのは流山児祥だろう。まさに男一匹、激動の小劇場運動時代から今日まで、公私に渡り演劇の世界を生き抜いて来たその姿勢は「男伊達」そのもの。その名もずばり「演劇団」を結成したのが、一九七〇年。時あたかも赤軍派による日航機乗っ取り事件が起き、演劇界では鈴木忠志が「劇的なるものU」を、清水邦夫が「あなた自身のためのレッスン」を、そして今を時めく井上ひさしがテアトル・エコーで「表裏源内蛙合戦」を上演したころのこと。小劇場真っ盛りの時の旗揚げである。以来、今日まで、男臭さ横溢の舞台を作り続けて来たことは誰もが知るところ。今年 2月に劇小劇場で再演された流山児★事務所公演「ハイ・ライフ」一本をとってもそのことはあらわだろう。

 シャプに取り憑かれたどうしようもない男たちの懲りない姿が活写され、ふつうならそのドロップアウトした、いかれた姿にうんざりするところだが、これが流山児の手にかかると、なぜか愛すべき男たちに見えて来てしまうのだから、不思議である。しかし、その「シャプこそ命」の生きざまを見ていると、いやおうなく気付かされるのは、その陶酔の中にしか生の実感を得られないところにまで追い詰められたいまという時代の息苦しさ、そしてその中で、見てくれなんぞ関係ないよと「爽やかに」生きる男たちのピュアな欲望だ。「たかが、小劇場、アングラよ」といわれようが、「それで結構、おれたちゃ河原者よ」、と肩で風切って生きて来た流山児ならではの晴晴しさがこの舞台には如実に投影されている。

  

『ハイ・ライフ』 「映画芸術」20065月号「希望」  伊藤裕作

  その日のソワレは「流山児☆事務所」下北沢「劇」小劇場公演 『ハイ・ライフ』(作=リー・マクドゥーガル 演出=涜山児祥)。

 カナダの劇作家の戯曲を流山児が二〇〇一年から毎年のように出演者を代えて上演している、ジャンキーたちの物語で今回の塩野谷正幸、若杉宏二、保村大和、小川輝晃、四人の役者のジャンキーぷりはとりわけ凄まじくって、もしかしたらホンマモンと思えるほどのド迫力。 この四人のジャンキーたちの希望は銀行強盗をやり抜いて大金を手中に納めること。 ジャンキーにだって希望″はある。 いや、この芝居を観ながら、観客は四人のジャンキーたちがかろうじて身をもちくずさずに人間らしく生きていられるのは、銀行強盗という希望″があるからだということを知り希望″がいかに大切かを思い知る。

 

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