戏剧大师流山儿祥の北京日記
流山儿祥是日本“流山儿事务”剧团的创始人,
也是有世界级大师称号戏剧导演!!

流山児★事務所『人形の家』『静かなうた』『ハイ・ライフ』3本北京連続上演。

20063月流山児★事務所は3回目の北京公演を「北京解放軍歌劇院・新街口北劇場」で行った。日中演劇交流史上初?!の3演目連続公演、画期的試みである。『人形の家』は寺山修司が1962年に書いた人形劇台本『狂人教育』を原作にしたジャパネスク・オペレッタ。『静かなうた』は北川徹のテキスト、コンテンポラリー・ダンスの北村真実演出による9人の男女優による台詞の無い芝居。『ハイ・ライフ』は4人のジャンキー達の銀行強盗ドラマ、カナダの新鋭劇作家リー・マクドゥーガル作の会話劇。これら、まるで違う3作品。中国・北京の観客の反応はさて如何に・・・。

『人形の家』篇 

3月13日(月) 晴れ。
流山児★事務所は海外公演を念頭に置き活動をしている。ここ最近は海外1ヶ月公演が恒例のスタイルとなっている。「
1年のうち1ヶ月を海外の観客を相手に芝居する日常」が劇団を、役者たちを確実に成長させている。最初の北京公演の時は巨大台風のせいで飛行機が飛ばず全員成田のロビーで雑魚寝もした。

今回はANAで定刻どおりに北京空港着。しかし、この大荷物、大所帯ですんなり通関を出られる筈が無い!(成田ではチェック・インに2時間!!も掛かった。走って搭乗ゲートに向かったのだ。)未だ嘗てない3演目分の大荷物だ。覚悟してかかるが、意外にあっさり通過。後で聞いたところによるとお迎えスタッフの中に空港関係の知り合いがいた為に特別な計らいがあったとか・・・?!ホントか?これでいいのか、中国!(この時の手抜きが原因で帰国の際に少し揉める事になるのだが・・・。)

流山児★事務所、北京支部長の小森谷環が迎えに来ている。環は4年前に文化庁の在外研修で北京の中央戯劇学院に1年間演劇留学し、昨年、中国青年と結婚。今も中国と日本の文化交流を進めている。現地で暮らす環のサポートに期待大。

一路劇場のある新街口へ。「解放軍歌劇院」は北京の北、地下鉄の「積水譚」駅の真上にある。今年オープンした新しい劇場。荷物の搬入をしていると、「軍服」姿の美女が「ビトンのバック」を小脇に抱え颯爽と登場。なんと、これが劇場主任、徐暁力さんであった。歓迎の挨拶と日本チーム、中国チームの顔合わせ、自己紹介が始まる。そして中国の若き名物プロデューサー:袁鴻(ユエン・ホン)との再会。昨年まで「北劇場」という中国唯一の私的劇場を経営していた彼が今回の仕掛け人だ。2002年、ピーター・ブルック、林兆華、流山児祥の3人の演出家の作品による「北京小劇場フェスティバル」を企画、20051月には『盟三五大切』を招聘。そして無謀と呼ぶべき今回の企画を推し進めた30代(?)の気鋭の演劇プロデューサー。「初演以来北京の伝説となっている『人形の家』を是非再演して欲しい。」という彼の要請と『盟三五大切』のカーテンコールで私が口走った「北京3本連続公演」が見事実現した今回であるが、何故、「解放軍」の劇場なのか?それは私にも謎である。多いに気になる所ではあるのだが。兎に角、信頼すべき袁鴻がここに新しい劇場をオープンするのだ。異国の若きプロデューサーを心から応援したい。

反日デモ、反日感情の高まりの中で幾度か「中止」を話し合った。今回のツアーはそもそも9月末に予定されていた。「自民党圧勝の総選挙 」直後の日本、「抗日戦争勝利60年で盛り上がる国慶節 」直前の北京の9月末。出来るわけがない。そして、11月、彼は「北劇場」を去る事に。時を待ち、双方の熱意と努力で何とか今回の公演にこぎつけた。今回のツアーは彼の活動の再開と劇場の新設を記念する前代未聞の日本の現代演劇の劇団の3本連続公演。「流山児★事務劇団展演=流山児・フェスティバル」なんとしても成功させねば。

 

『人形の家』のために用意された舞台を見て一安心。大黒幕がある!(前回の『人形の家』中国公演の時は紅幕しかなかった!それもこれも中国だから、と割り切っていたが・・・)。3階席まである美しいオペラ劇場。キャパは多いがコンパクトにまとまったいい劇場である。舞台監督のイワヲの指示の元、早速劇場の仕込が開始される。イワヲは1999年の韓国公演の時は新人だったが9度の海外公演を経験し立派な舞台監督に成長している。現地のスタッフと作業方法の違いを超えて「いい芝居」を作るために《言葉の壁》を越えて仕込みを進める。
作業に区切りをつけ、ホテルにチェックインをし、全員で食事に出る。皆凄い食欲。
21歳の研究生堀之内啓太から58歳の流山児祥まで3世代のスタッフ・キャスト34人。現地の通訳や協力スタッフ合わせて40人の大所帯の北京3本連続公演ツアーがついに始まった。

 

3月14日(火) 晴れ。
明かり吊りこみ、音響のセッティング。スタッフ苦戦の模様。「機材」は有り「バトン」も有るのだがコネクトする部品がないとか・・・
?!こんな落とし穴があるとは。打ち合わせだけでは分らない、恐るべし海外公演。手作りで間に合わせるか・・・?

「新京報」、「北京挽報」といった北京大手新聞、批評家の取材相次ぐ。夜に入り何とかシーンの明り作り。これが大変。コンピューターの打ち込みがスムーズに行かない。北京の照明の「先生」が横で操作の指導してくれているのだが。深夜まで悪戦苦闘。

 

3月15日(水) 晴れ。
9時に劇場に入る。「さあ、早速明り合わせから」と思いきや「照明卓」が立ち上がらない。案の定というべきか。これで腹を立てていては海外公演はやっていられない。できることからコツコツと。復旧し場当たり再開。そのままノン・ストップで延々深夜まで。全員、疲労困憊。「新京報」にインタビュー記事が大きく掲載。

 

3月16日(木) 晴れ。
朝9時小屋入り。又しても照明トラブル。昨日コンピューターに打ち込んだキューに別の明りが入っている。全面チェック。メイク、強引に
15時からゲネプロ。何とかやれそう!本番直前大アクシデントが発生。役者の伊藤弘子が作業中に人指し指を切ってしまったのだ。すごい出血。急遽、近くの積水譚病院へ向かう。本番に間に合わせる為「麻酔なし」で3針縫う。弘子は去年も右人指し指を骨折しているし、北京では前歯も折っている。小学生の2児の母、つくづく凄い女優にこの17年間で育ったものだと妙な感心。海外公演で病気はつきもの。いくら気を付けていても。免疫が無いのだから仕方が無い。カイロでは若杉は40度の高熱を出しながら公演したし、北京でサボが倒れたな。今回はこれで終わりだといいが。
開演ギリギリに弘子が帰ってくる。衣装替えを真実さんにお願する。「人形」の衣裳に着替える大掛かりな超早替。今回からは新規に「人形」全員に「カツラ」を導入している。この着替時間を稼ぐため為、黒衣役の男優陣に
1分余りシーンを伸ばしてもらうことに。

730分開演、超満員。3階までびっしり。『人形の家』初日の幕が開く。

 

人間の自由意志と宿命の対決を描く人形劇の形をとった寺山修司の革命劇。終演と同時に立ちあがり「好(ハオ)コール」と大拍手。ユエン・ホンから花束、舞台上で抱き合う。本当に「ありがとう」。

終演後の21時過ぎから劇団員との乾杯の時間もなく「記者会見」が始まる。音楽監督の本田実などと一緒にロビーで30人余りの地元記者達に囲まれる。日本の俳優教育や上演システムや今回のリニューアル版についての質問が飛ぶ。中国話劇(新劇)の最近の停滞ぶり、商業化を見るにつけ私たちのような「核のある舞台」に出会うとのカルチャー・ショックを覚えるらしい。今日はそうそうたる中国演劇界の名士が劇場に来ていた。北京人芸、国家話劇院、中央戯劇学院、北方昆曲院の有名演劇人諸氏。初日パーティ。国際交流基金の皆さん、元ブリキの自発団のIさん20年近くク・ナウカを撮っていたという写真家のRさんといった北京在住の日本人たちも加わって大勢で深夜まで痛飲。沖田乱に北京で彼らと一緒に劇団を作れ!とそそのかす。4人の日本人を軸にして北京で小劇場運動を始めたら面白い事になる。俺も手伝うよ。沖田乱の演技は海外では必ず評価される!彼の存在の凄さ、演技力を日本では高く評価されてないことに私は苛立ちを覚える。海外で常に圧倒的な評価を受ける沖田乱の身体性は日本の誇りだ!

       

        

 

3月17日(金) 晴れ。
2日目。劇場の壁に「巨大なポスター」が現出した。凄い、デカイ。25メータープールよりデカイ。でもこれ1ヶ月前に出してくれよと言いたいものだ。           

海外で初日があくと恒例の新聞スタンド通いが始まる。よし、「北京挽報」に絶賛の劇評が掲載。

劇場スタッフから字幕の見え方が悪いといわれたので照明も変えてもらい万全を期す。初日同様の熱狂的な拍手。前回は必ず行っていたアフター・トークを今回は行っていないのが少し物足りない。討論好きで分析好きな北京の観客の意見をイロイロと聞いてみたかったのだが。客席で字幕を出している啓太はお客さんから水を貰ったりと色々コミュニケーションしているらしいが。

  

 

3月18日(土)晴れ。

←北京には街のあちこちに健康遊具がある。無理な筋力を使わずに身体を動かせる。みんなけっこうはまっている。


14時小屋入り。17時までいつものように3時間稽古。『静かなうた』のメンバーもセットの後ろで体を動かしている。が、両作品にまたがって4人の役者がいるので本格的な稽古は明日から。今日は『人形の家』の千秋楽だが終了後すぐセットをバラシして『静かなうた』のセット作りというか小劇場作りだ!なんせ急遽、会場の変更があった。当初予定していた地下の小劇場が営業許可が下りなかったのだ。出たよ、これだよ、海外公演。

この地下の小劇場こそ、これから袁鴻(ユエン・ホン)が立ち上げる新生「北劇場」であったのに・・・。

 

『人形の家』千秋楽。女優たちが劇場を颯爽と出て行くフィナーレで、もう何人かが立ち上がって拍手し始めた。暗転。「劇終」のタイトル。カーテン・コール。本当に観客全員総立ち!のスタンディング・オベーションである。鳴り止まない拍手に急遽、楽屋から全員戻り、カーテン・コール。劇団員も涙ぐんでいる。本当にやってよかった!終演後、VIPルームで記者会見。前回公演との違いや、俳優の訓練について聞かれる。「俳優」を軸にした演劇の復権について持論を述べる。「何もない空間」に俳優だけで「劇」を現出させるのが導演(演出家)の仕事である。

『人形の家』のセットをバラシ、そのまま『静かなうた』の舞台作りへ突入!

 

319() 晴れ。
1週間目の北京。簡体字を読むことにも慣れてきた。イラク戦争3周年2千人日比谷反戦デモのニュースの横に「スタンディング・オベーションで熱狂的なフィナーレ!日本現代演劇のパイオニア=流山児★事務所の3回目の來京に感謝の歓声」と劇評。

 

まだまだ、『静かなうた』篇、『ハイ・ライフ』篇と北京日記はまだまだ続く。

2006年3月北京日記「静かな歌」篇

2006年3月北京日記『ハイ・ライフ』篇

 

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