ご愛顧いただきましたインドネシアの日々も06年夏、めでたくブログ化しました。
今後も、末永く、気長に見守っていってくださいませ。TOMOの日常
横須賀智美のdari INDONESIA
TOMOのIndonesiaな日々
2006年 5月篇
5月日記から大分たってしまいました。。。。
TEATER GARASIのWAKTU BATU#3の日本公演は好評のうちに無事終了しました。
空港まで帰国組を見送りにkuna'ukaの制作の方と行き、その足で今公演中の「ムネモシュネからの贈りもの」の稽古開始。
川崎の川崎ファクトリーにて、稽古&宿泊と言う本当の合宿生活の開始でした。私も日本人でありながら、ほとんど家に帰らずここで生活しておりました。
家に帰ると、GARASIのメンバーから仲間はずれされたような気分がしてしまうので。。。。(ファクトリーのメンバーと写真)
インドネシアにいた時は、皆と本当に一緒にいたので。
本当に渡辺さん筆頭にお世話になりっぱなしで、日本でもこんなに強い結びつきを味わえるなんて感激でした。
そして、更には富山県利賀村で、日本人も含めての合宿生活までもありました。
今までは、お互いを知ることの為の稽古だったのが、一気に作品つくりに。
色々な問題点も勃発し始めて、いい傾向に。。。
合宿あけて、川崎に戻って数日後に、ジャワ地震のニュースが入りました。
朝起こされ、何事かと思いきや、地震発生。
ジャワは本当に地震の無い国なので、皆想像することも出来ずにむしろ楽観ししてました。
ところが、次々に入って来る悪情報の多さに段々不安に。
そしてこの日は稽古が偶然休みだった為、情報の収集にあけくれました。
国内はショートメールも電話も出来ない状態なのに、なぜか私の携帯(VODAFONEなので、海外の携帯とショートメールが出来ます)のショートメールだけが通じて、不幸中の幸いで、メンバーの家族・GARASIのメンバーや関係者の安否はすぐに確認出来ました。
現地よりも私を通じての情報の方が確実と言う状況でした。
バントウルはジョグジャからは少し南に行った地域なので、ジョグジャの都市はさほど被害は受けてないそうです。
メデイアは大きく被害を伝える傾向があるので、それに踊らされず、私達は正しい情報を収集することにしました。
その結果、残っている家族やメンバーが口をそろえて、「大丈夫だから、日本公演を成功させてきて」と言ってくれた気持ちを受け取り、公演を遂行する決定を下しました。
決めてからは、彼等の潔さはあっぱれでした。
そんな公演も、まずは川崎での公開稽古を経て、下北沢に上陸です。
HUJANですっかりファンの多いUUNGや、今回のかわいこちゃんCITRAとの楽屋ショットです。
まだまだ続く公演。インドネシアファンお待ちしてます。
3月編
3月は北京な日々でした。
この辺に関しては、流山児日記ご覧になればばっちりなので、私はあくまでもインドネシアな日々探していこうかと。
そして!!!!
決まりました!!!!!
4月のteater GARASI来日公演!!!!
本当に見逃すと損です。それ位面白い。
もうまじかなので、チケットのお求めや、詳細はkuna'ukaのHP観てください!!!
その際「流山児事務所のHP観ました」と言って頂けると幸いです。
もうこの公演、シンガポールでもドイツでも大絶賛。
勿論インドネシアでも。特に若い層に非常に支持されてます。
古い体制の人たちは、はじめ支持していたくせに、売れてきたら「あんなの演劇じゃない」なんて声も出てきて、どの国も一緒やなと。
前回来日した「hujan」とは、演出家も違うので、方法も違います。
前回演出していたCINDILは役者で出演してます。
ただ、稽古方法は劇団の理念なので、表現力豊かな身体は必見です。
本当に宣伝も遅れています。しかし、この公演観れないと本当に損します。
なのでどうぞよろしくです。
私も出演します。
しかし、来日まで皆は稽古しているのに、私は本当に出れるのか。。。。不安。
WAKTU BATU #3
森下スタジオC
4月21日金 19:00
22日 土 14:00 19:00
23日 日 14:00
24日 月 17:00
そしてこの公演と6月のGARASIとkuna'ukaのコラボレーション公演とセットでお買い求めいただくと、すごい割引になります。
このgarasiの演出家yudiの演出のもと、6人のkuna'ukaメンバーと私と6人のgarasiの役者陣とによる肉体の共演!!!
これも観て頂きたいですね。
MNEMOSYNE
下北沢 ザ・スズナリ
6月11日から17日毎夜19:00
18日のみ15:00
劇場でおまちしてます。
宣伝ばかりになってしまいましたが、必死ですので!!!
予約の際は「流山児事務所のHP観た」って言って下さいね。
それからこの日記読むと尚面白いってか?
2月記
2月半ばに、私の第2の劇団TEATER GARASIの女優NAOMIが来日!!!
そして、22日23日国際交流基金ホールで公演しました。
国際芸術カーニバルPACの中の作品で、秋元松代作「七人みさき」の多言語上演と言う事での、NAOMIの参加でした。
演出はインドのニーラム・マンシン・チャウデュリーという女性の方。
役者はハムレットにも出てた韓国の孫ちゃんなど含め、6カ国の役者での上演でした。
ちなみにNAOMIは、知る人ぞ知るめっちゃ有名な作家・詩人レンドラさんの娘なのです。フィジカルなものでしか、なかなかコラボレーションが難しい中、台詞劇に果敢に挑戦していたのは新しい試みでしたが、難しいなと。。。。。この稽古中、皆木場のウイークリーに滞在していたので、しょっちゅう逢えたのは嬉しかった。中でも、香港のサフロンと再会出来たのは本当に感無量。。。。彼女とは阿川と一緒に参加させてもらったコラボレーションで、出会った以来だったのです。もう何年になるのかなあ。あの頃からいたる所で、「インドネシアに行きたい」といっていたおかげで、国際的な観点が広がり、新しい可能性が広がった。変わった事と言えば、その頃は英語でコミュニケーションがとれていたのに、私がびっくりする位、インドネシア語しか分からなくなってしまった事かなあ。サフロン含め、来日していた役者さんたちもびっくりでした。だって、NAOMIとインドネシア話してる日本人なんてめったにいないからね。「お前は日本人でない」なんて言われたりして。と言われるほど、インドネシア語がいけてないのがたまに傷ですが。。。。来月は北京。2本も出れるなんて幸せ。無念は日本でやる予定が無い事。新しい作品に仕上がってるのにな。
1月記
3月中国公演「狂人教育」の稽古合間をぬって、六本木のライブハウスに、我が弟の情報で行って来ました!!!
。。。。初めて六本木ヒルズ見ました。
堀江逮捕の直後だったので、昼間は整然としていたとか。。。。
そして、私が何故あまり縁の無い六本木に行く事になったかというと。。。。「UAがライブでガムランとのコラボレーション???」みたいな情報を弟が入手して、150枚限定チケットをGETしてくれたからです。
実際のライブは、日本人によるガムラングループと、モンゴル民謡のバンド公演・インドネシア人のガムラン奏者とUAの即興・日本人ミュージシャンとインドネシア人ガムラン奏者との即興。。。。。と盛りだくさんのゆるーい空間に酔いました。すごくいい感じの空間で久しぶりに音楽の心地よさに浸れた感じ。
UAはよくバリでレコーデイングするらしく、そこで知り合った奏者との事。
開演前もうろうろ歩き回ってたり、普通に皆で会話してたり。。。。弟いわく、そういう事が当たり前な空間らしいが、私にはなかなか興奮する出来事でした。
そして、またまた劇団四季!!!今月は大雪降ったあの日に行ってきました、「ライオン・キング」。
これが意外な事にインドネシアな日々なのですよ。女性の演出家(アメリカ人だったかな。。。?)のイメージ作りには、インドネシアでの経験がすごく刺激を与えていたと。ふらっといったインドネシアにすっかり魅了されて、長居してしまったとの事。でも、バリだけっぽかったなあ。。。
影絵やら、染物のバテイックやら、衣装・美術にインドネシアな匂いは感じました。アフリカだけでは無かったのね。
この情報も、ライオン・キングからインドネシアに恋した人からの情報でした。
それにしても、これは面白かった。
インドネシアは芸術家にとっては、嫌でもインスパイアされる国なのです。
感覚が刺激されるのです。何かを生み出すのではなく、生み出されてる感じ。
私事ですが、3日間だけ台湾行って来ました。
ここでもありました、龍山寺。参って来ました。
Selamat Tahun Baru 2006!!!!
あけましておめでとうございます。
まだまだアチェの人たちの傷跡は深いですが、確実に復興しているという、現地からの頼りに希望が見えてきました。
12月中には、wayang協会という、日本でずっとwayangの研究をなさっている松本亮さんの主催する会に母親と共に参加したりもしました。
なかなか、アット・ホームな会合で、インドネシアフェチばかりの集まりで、いい経験でした。そして、STORE HOUSEの忘年会で知り合いになりました劇団四季の池田さんの影響もあって、以前お届けした、劇団四季のインドネシアを題材にした公演「南十字星」を1月9日観劇して来ました。
う〜ん。。。。。。良く勉強していただけあって、文化はリアリテイーあったと思いますが。。。。。真似だけだったら、現地の踊り子使えばいいし、四季のアレンジ力に期待していたせいもあって、ちょっと真似で終わってた気が。。。。
勉強していた分、ちょっとした間違いが気になったりしたりして。
でも一番は、JAWAの文化でずっと通ってたのに、何故いきなり、BALI???
踊りのシーンと最後のカーテンコールでBALI文化が。。。。
ヒンデューとイスラムではちょっと違いすぎる!!!!ま、これも向こうに住んでいたからのこだわりかもしれないけど、それは無いでしょうって感じでした。
残念!!!!これからも、INDONESIAな情報頑張って探して行きます。
あ!そうです!
今年4月には私の愛する劇団TEATER GARASI来日公演決定です!!
詳細待て。2005年11月編
インドネシアから再帰国してから早1ヶ月以上がたちました。
この期間も沢山のインドネシアな日々が進行。
STORE HOUSEでのFESTIVALは本当に盛況で嬉しい限りでした。
私が惚れこんでいるGARASIです。皆さん本当に感激してくれました。私が初めて見たときの衝撃を皆様も感じてもらえたと信じてます。言語はまだまだ沢山あるのだと再認識。。。。
タイの劇団の公演もとても興味深かったなあ。もともとはタイ好きな事からアジア演劇に染まっていったので、またまたタイへ進出したい思いがよみがえって来た。
本当に私はアジアの演劇が好きなんだなあと実感。
日本がどうとかではなく、世界の演劇は表現が豊富だなあと。
インドネシアにおいては、もともと台詞が2つあるという概念の基から表現が排出されているのです。そりゃ豊かですよね。
私はまだまだ新しい言語を習い始めて初心者。これから単語を増やすべく精進したいと思ってます。
写真はYOGYAKARTAでの公演での共演者UUNGの写真です。
持ってるのはバナナの葉っぱを乾燥させたもの。乾いてると入国出来ないとの事で乾燥したものを使いました。
公演の最中に我が劇団へ韓国のヒョンさんに続く外国人受け入れで、インドネシアからヤントが来日。
SMOKEにも出演してました。これまた私の家に滞在中でございます。
偶然RIANTOというSOLOの舞踊家も来日していまして、観に行ったりもしましたし、BALIの音楽家・劇団主催のKADEKさんと妻のまりさんにも会ったりとまだまだ常夏の時間は続いてます。
BALIは伝統舞踊があまりにも強力すぎて、なかなか現代演劇が発達していない状況。観たがらないし。。。。
何か可能性を探していけたらなとまりさんと話したりして。。。。
私事ですが、GARASIのメンバーの私の大好きな二人、RIZKYとERYが結婚しました。
Selamat Menikah!!!!!
帰国!出演!
インドネシア劇団GARASIとともに11月11日(金)、14日(月)フィジカルシアター・フェスティバル(江古田ストアハウス)『雨に魅せられた一人の男について』に出演!
帰国, 1週間前!!
ああ。。。。帰国する1週間前になってようやくの更新。。。。。
バリでテロがあったり、あまりにも更新されないので、心配するメールがちらほらあったりして。
元気でやってました。
とにかく、到着してから稽古三昧。
それに加えて、9月はここジョグジャカルタでは大きな踊りのフェステイバルが行われていて、それに和栗さんやら、上杉さんやら沢山の舞踏家が参加していて、忙しかったのです。
私の信頼するジャカルタ在住のようこさんも、参加してたりとなかなか面白い企画でした。
そのフェスには、6月に参加してもらったYANUも音楽で参加してました。
BESARというここで有名なダンサーの音楽を担当していたのですが、これが面白かった。
踊りはとっても伝統なのだが、YANUの作る音楽はとってもPOPですごく効果的だった。
新しい可能性が見えた感じ。
その後、BESARと和栗さんのコラボレーション作品も作られたのだが、これにも音楽を提供していて、なかなかいい仕事してました。
最近映画音楽にも参加してたりして、今はオペラ作りたいと豪語してます。
その期間私も稽古に加えて、急にパフォーマンスに参加したりとアクシデント満載。
更に9月中は役者は2人だけでの稽古だったので、満身創痍。。。
10月に入ってから4人で本格的に公演に向けての稽古が開始。
でも実際本当に公演だけにフォーカスをあてての稽古は10日位。
それまでは、可能性探しに即興三昧。
テキストはいくつかの詩のみ。
まさに前回の静かなうたと同じ。この稽古の仕方が普通になっていた私には、静かなうたで、日本の役者が苦しむ中、何の抵抗もなかった。
新しい言葉が増えた。これがインドネシアに来て、1番の得た事。
この言葉がもっと豊かになるために、毎日基本稽古は欠かせない。
GARASIの概念は素晴らしい。
そして、急にここでの公演が決まったのです。
20日&21日LIPというフランス関係の建物で公演しました。
宣伝期間は1週間程だったが、さすが人気劇団。断食中だというのに沢山の人が押しかけてくれた。それどころか、急に、21日は2回公演に。
8:30開演で40分位の作品だったので、9:30の追加公演!!!!
身体言葉のみの作品なので、役者はすごく疲れるが、いい作品に仕上がってるので、多くの人に観てもらえて嬉しかった。
日本での公演が楽しみ。
今は断食開けのレバラン前なので、稽古も休み。
やっとゆっくりしてる。
とにかくすごくいい作品なので、観て観て!!!!
あ!!!忘れちゃいけない。
なおが満を持して遊びに来てくれたのです。
観光では見れない場所に色々連れていった。稽古場や、私の踊りの稽古にも1日参加したりと、ものすごく濃密な時間を過ごしていった。
私も楽しかったのです。
ああ。。。。。書きたい事ばかりで。。。。。
まだまだ続くこの旅は。。。。9月11日
朝6時にみかりさんがバリ行きの飛行機に乗るのを見送る。
その後またクナウカのメンバー送りに空港に。
ふぅ〜。現地スタッフって大変ね。
9月10日
本日はみかりさんの為にチケット買ってから、クナウカと、インドネシアのワークショップの通訳手伝い。夜12時まで続く。
9月9日
いきなりヘビーなスタートだったのに、今日から稽古。事情があって役者二人と演出家と舞台監督4人での稽古。
疲れた〜。なのに夜は一升瓶かかえて朝6時まで酒パーティー。また外泊。。。
9月8日
静かなうたの片付けやら、インドネシアへの預かり物取りに奔走した昨日。舞踊家の竹屋さんとかと楽しい時間過ごしたりしたので、バタバタの出発に。夜7時30分頃ジョクジャに着き、6月公演に出てたYANUに迎えに来てもらい、KUNA'UKAの公演に!すごい大成功!
朝2時頃まで乾杯して帰宅。いきなりの外泊スタート。
帰国篇
8月21日編
最近は「静かなうた」の昼稽古が始まったりして、INDONESIAな日々が有りません。。。。。
で、今日はあんまり知らないようなので、情報を一つ提供つ!!!!
携帯SMSでINDONEIAに送れるんですよっ!!!!
私はvodafoneですが、無事に送れてます。
+62をつけた、0抜きの番号で送るだけです。
但し、今の所telkomsel、つまりシンパテイーと、海外対応している何社しか送れませんが。
pro xselは確実に送れません。
fomaも出来るとの噂ですが、まだ未確認です。
初めて試して送れた時は、ちょっと衝撃でした。
なんて、今回は本当にINDONESIAな人にしか関係無い情報でした。
ちなみに25日&26日には新木場の夢の島公園で、18時から「バリ舞踊と竹ガムラン」あるそうです。
無料です。
関係ないですが、本日はベラルーシで本当にお世話になった古澤さんと、高田馬場でロシア料理食べました。
明日の朝、すでに恋しいベラルーシに帰るそうです。
海外で活動なさってる方と、在外でINDONESIAに行けたおかげで、色々話が盛り上がる事もあったり。。。
経験した事ある人にしか分からない共通の苦しさがあったり。。。。。
なので、古澤さんとも昼間から熱く、演劇の可能性に関して盛り上がりました。
8月9日編
朝から忙しかった。。。。
先日BIMOの千秋楽を迎え、朝7時まで飲んでいたという、舞台監督と照明をやっていた、clink(チリン)をお迎えに、新宿の某ホテルへ朝10時。
慣れない立派なホテルにいささか挙動不審な私。
眠そうなチリンを連れて、GARASIが11月に参加するSTORE HOUSEに。
劇場見せてもらったり、演出の木村さん夫妻と楽しく写真撮ったり(写真あり)、お昼までご馳走になってその足で新宿に戻る。
今度は9月のジョグジャカルタで行われるart festivalに参加するkuna'ukaさんの制作の方と、照明の方と簡単な顔見世や、ちょっとした打ち合わせ。本当に羨ましい場所での公演。。。。
宮城さんは韓国に打ち合わせで行っていて、残念ながら同席出来ず。
他劇団のインドネシア進出に、嬉しながらも歯がゆい思いつのる。。。。
私事ですが、いつも応援してくれていた大切な方の、訃報。
大切な物が、また1つ。。。
私に出来る事は、忘れずに生きる事。
想い出は、時間が経つにつれても褪せてはいかない、時間の重みと共に重くなる。
「重いで」になる。
8月7日編
本日、「静かなうた」の稽古をお休みさせてもらっての出来事なので、本当は公にしてはいけないのですが。。。
私の9月から行くVISAの書類にも関係していたり、ジョグジャカルタからのダンサーの来日なので、どうしても行かなくてはならず。。。。すみません。
ってここで、謝っても。
でも、公演は本当に素晴らしかった!!!!
和栗さんのと同じ「ダンスがみたい!7」の中のインターナショナル コラボレーション参加作品で、BINO DANCE TEATER(ビモさんのダンスカンパニー)による FATAMORGANAーファタモルガナ 〜Diantara ada dan tiada(有ると無いの間)。
以前和栗さんのジョグジャ公演に参加していたダンサーの渡辺由美ちゃんとも再会できたし、私の第二の劇団GARASIのメンバーのClink(チリン)も舞台監督として来日していたし、忙しい日でした。(3人での写真)
日本人とのコラボレーションという事で、本日だけのメニューで和栗さん含め、数名の日本人ダンサーも出演していたのです。
BIMOさんは本当に独創的な振り付けなのですが、伝統的な物は決して排除せずに、素敵な形で新しいものを作っている方です。
時間がある時は参加させてもらおう。。。(写真あり)
沢山のインドネシア語話せる日本人に囲まれて、うちの売り込みに頑張ってます。実現させるぞ、インドネシア公演。
口コミいのちなので、この地道な活動が実を結ぶ。。。。はず。
来月のジョグジャでのart festivalにkuna'ukaが参加しますが、和栗さんも出演されるそうです。で、酔った勢いの出演交渉。
和栗さんとBesar(来日したダンサーの中の子)の踊ってる後ろで、ずっと全裸で座ってろと。全部終わった時に、静かに立ち上がって、お尻に明かりをしぼっていって公演終了。
デビュー出来ない事を祈る。
ワークショップをいつか開きたいなと話してお別れ。
私のジレンマにつながるが、踊りと音楽はいとも簡単に国境を越え、意外に密に交流があるなと。劇団も仲間に入りたいと頑張りましょう。
台詞の言葉だけでない物をもっともっと作っていきたいな。
8月6日編
夏ガムラン2005と称して、東京音楽大学社会人グループAneka Sari(アネカ・サリ)の、ジャワガムラン・ジャワ舞踊のミニコンサートに行って来ました。
バリガムランは頻繁にあるのだが、ジャワガムランはなかなか無いので、飛びつきました。
皆様、趣味にしては上手でしたが、踊りはちょっと。。。でしたね。
でも、写真のように、kebaya(クバヤ)という民族衣装着たりしてたりして、初めて見る人には楽しかったかも。
先日のピクニックコンダクタでも使った、bonang(ボナン)やslentem(スレンテン・右側の手前にいる女の人が使ってる楽器)や、 gender(スレンテンの奥にある見た目同じような楽器)と、私の大好きな rebab(ルバブ・右端に小さく見えている)の奏でる音楽は心地良かった。
ちなみに、ガムランはガムル(叩く)の名詞形です。
それにしても、民族楽器は何処にいても何故か懐かしく、穏やかなんでしょう。
私の隣の人も気持ちよさそうに、ふねこいでました。
8月4日編
「ダンスがみたい!7」と称して、国内外から多くのダンサー達が繰り広げているフェステイバルが、神楽坂デイ−プラッツと、麻布デイープラッツで行われてる。
今日と明日は、麻布の方で、舞踏家の和栗由紀夫さんと上杉貢代さんによる共演(競演)です。
土方さんと大野さんと、習った所が違うらしくて、(あんまり舞踏に詳しくないので)舞踏界ではあまり例の無い事との事。
しかし、舞踏に明るく無い私から見ると、難しい事は分からないが、兎に角内から出るパワフルさ・体をいじめる(鍛える)仕草は、変わらないなと。
で、何故、これが、インドネシアな日々かというと。。。
以前日記でお知らせした事が、ありますが、和栗さんと知り合いになったのが、ジョグジャカルタなのです。
初めて舞踏を見たのも、ジョグジャだし、私にとっては和栗さんはインドネシアな人なのです。
そして、公演の照明・音響を手がけている、曽我さんは、ジョグジャにある小さな劇場kedai kebun(クダイ・クブン)の全面的な音響・照明の改装を行ったりしているの
です。インドネシア唯一のテクニカルな劇場になったのでは。。。と今から見るのが楽しみです。
テクニカル的な事を、ワークショップなど開いて教えていくようで、とても貢献なさってるのです。色々な形でサポートなさってる方がいて、私も頑張るぞと。
アフタートークもあったのですが、さすが、沢山の観客に囲まれていて、改めてすごい人だなと。
で、終演後の可愛い和栗さんの写真。
ちなみに、7日8日は麻布でジョグジャのBIMO(ビモ)という素敵なダンサーの公演です。是非、見て欲しいです。
7月28日編
台風一過で、もの凄い暑さの28日に、門前仲町の富岡八幡宮で、bali島からのwayang
kulit(ワヤン クリッ)が上演されてたので、弟とそのお友達で連れ立って観に行きました。
以前も紹介したものですが、水牛の皮で作った薄い、装飾された人形を使って上演される影絵劇です。
日没開始という、あいまいな始まりで、なんとも言えずのほほんとしたいい感じ。
野外(境内)だし、無料だし、準備している間にもすごい人だかり。
バリ ガムランの第一人者、皆川先生もいらしてました。
どんどん集まる人達に、あせるは日本人ばかり。
彼等は楽しく、和気あいあいと準備し、スンバハン(お祈り)もゆっくりとして、始まったのは7時半ころ。
本来なら8時間以上かかるものを、1時間半程度の構成にしていたので、初心者も飽きる事無く、楽しく観れる構成に。
sukawati(スカワテイ)村のwayang kulitだったが、初めてバリの影絵を見たが、すごい面白かった!!!ジャワのより面白いかも。
マハーバラタのアルジュナについても、分かりやすく解説あったりと、かなり親切な進行。
インドネシア語しゃべりたい民族にもまれながら、後片付け中のdalang(ダラン)の写真撮りました。
ダランは、たった一人で何時間も、何十人という役の人形を使うわ、声色は使い分けるわ、効果音は出すわ、アドリブは入れるわ。。。。神業なのです。
この人若くて、32歳。格好よかったし、お疲れ様。
7月16日編新木場のライブハウスで、inul(イヌル)という国民的pendangdut(ダンドット歌手)のコンサートに行って来ました。
4人のインドネシア人の友達と連れ立ってね。
インドネシアでは絶対に出来ない、一緒に写真撮ったり、サインもらったり、おまけにだんなさんとも写真撮っちゃいました。
アチェ救済が名目なので、勿論チャリテイーにも参加しましたよ。
dangdut(ダンドット)とは、歌謡曲かなあ。マレー・アラブ・インド・ロックの要素が融合している、大衆国民音楽。
怪しい腰つきで、男と女の求愛ダンスがここかしこで。
久しぶりにインドネシアの香り。。。
新木場降りた途端、場所案内しているインドネシア人たち。
「mas, tempatnya dimana?」
一緒に行った子達も、ここはインドネシア?って思う程、自然に母国語。
インドネシア大使館で働いてる人が、会場案内や、司会やってる!
素晴らしき、緩やかな時間。。。
それにしても、すごい衣装。
inulが出て来た当初、各地でセクシーすぎると、公演中止になったとか。。。。。納得。でも、私のgoyang-goyangも負けてません。goyang-goyang。。。意味は内緒。
6月17日編
去年の11月末に帰国して、早、8ヶ月。。。。長い充電期間を経て、日記復活します。おまたせしました。
兎に角、帰国後は殺人的なスケジュールに追われてました。
この間、4本の公演に出演。(うち1本は海外公演)
インドネシアへ約1ヶ月の滞在をこなしてました。
帰国後も、インドネシア人達との交流は盛んで、色々情報を書いていきたいと思います。
3人のインドネシア人とのコラボレーション公演「ピクニック・コンダクタ」も無事終了。
出演者の小川君と、YANUの男どおしの約束に私も便乗して、ドライブに行って来ました、海ほたる。
そういえば、インドネシアにはトンネルあったっけ???
そして、どこまで行っても、爽やかな小川君は、東京湾の風景よりも爽やかでした。
そういうば、YANUとこっちにいる私のインドネシア人の友達LILYとボーリングに行ったのですが、JOGJAにはまだないのです、ボーリング。
改めて行って、意外にハイテクな事に気がついたのです。
でも、昔はスコア手で書いてたなあ、なんて感無量。
YANUははじめてのボーリングにはしゃぎまくりの、はまりまくり。
最後のゲームでは、100越えて大はしゃぎでした。
TOMOの10月日記
何だか色々ありすぎて、どうなっていたんだこの1ヶ月。。。。。
WAKTU BATU3(ワクトウ バトウ3)は無事終了。
ジャカルタで開かれたArt Summit Indonesia 2004 に参加する為に、9月24日に出発。
公演は27日・28日の2日間。(写真あり・羽しょってるのが私)
沢山の観客と共に、festivalは終了してしまった。。。。
私の1年間の在外研修もこれで終了。
沢山の劇団の中から、私が選んだテアトル・ガラシー。。。。未だ恋してる次第。
とは言っても、終わった次の日の29日、8時40分の飛行機でシンガポールに。
ガラシーのメンバー13人と、私の14人でのシンガポール公演。
我が劇団では、ず〜っと落選しつづけていた海外公演に、インドネシアの劇団員として参加させてくれた皆に本当に感謝。
言葉にはちょっと出来ないかな。。。。
シンガポールでは1ヶ月以上に渡って、芸術月間として沢山のfestivalが開かれていて、この企画もその一環。
プロドウーサーはガラシーに恋して長い人で、やっと彼らを呼べたと、満足している感じ。
この企画、あくまでも演劇公演ではなくて、旧国会議事堂で48時間に渡ってノン・ストップでパフォーマンスが行われるというもの。
我々も、もち時間は1時間程が4回というもの。という事で、彼らの得意とするイメージを身体で具体化するコンセプトだけで、全公演を行った。勿論稽古はなし。普段の稽古方法を見せてる感じ。でもイメージは全てwaktu batuから。1から3まで含めて全部。
すごい楽しかった。
パフォーマンスは、2000年にアジアのパフォーマー達と一緒に作品作ってから、楽しさを共有出来るようになってたから、本当にすんなり入れた。最終日にはフェステイバルのファイナルとして、屋外で音楽とのパフォーマンス。
大盛況の内に終了。
これで、本当に終わり。。。。
来月には帰国です。。。。
という事で、レバラン前に、国内旅行がしたくなり、急遽ロンボク島から船で30分程のギリ・トウラワガンという、1周時間程で歩けてしまう小さな島に行ってきました。
インドネシアは思ってるよりも海綺麗でないな〜って思っていたけど、ここはまだまだ綺麗。
ビーチの本当に近くでもシュノーケリングで充分楽しめる。(写真あり)
ちょっと深いとこ行ったら亀も時々通ったりして。。。
その足で、バンドウングという都市からチアトルという温泉町にも行ったりした。
終わってからも、しょっちゅうガラシーには行ってるのだが、11月4日には展覧会として、ガラシーとパユング・ヒタムという劇団の公演の写真やら、衣装やらが展示される。
まだまだ終わらせない。。。
あまりにも沢山ありすぎて、逆に感無量な最近。
TOMOの9月日記
この日記を書いている今日は、9月24日。9月日記をお届けするには、まだ大分日があるのだが、今日をのがすと、10月の10日過ぎまでお届け出来ないので、ちょっと早い日記です。
今月も盛り沢山。
私が参加しているテアトル・ガラシーのジョグジャカルタ公演が、PPPGで、20日・21日に盛況のうちに終了。この公演「Waktu Batu 3(ワクトウ バトウ3)」は、基本スタイルを決めずに、変化しつづけてるガラシーの中でも、私が思うにずばぬけて、センスのいい作品。
こんなセンスのいい劇団がインドネシアにもあったのね???って感じ。(失礼)この国では1年に1本芝居がうてればいいペースなのだが、ガラシーは今年3本目。その数だけ見ても、彼らのプロダクション能力の高さ・観客支持の高さがうかがえる。
この作品、インドネシア人が見ても、言葉が綺麗で古く、難しいらしい。ジャワの歴史やら、ジャワの昔話やら、ヒンドウー教の話やら内容はてんこ盛りだし。。。では、何が面白いって。。。。空間の使い方・役者の動きの紡ぎ方。
そして、何より、言葉の理解出来ない人が観ても、イメージを沢山与えてくれる。テーマはえらく重いし、大きい。どうしても説教臭くなって嫌な感じになりそうなのを、結論は作らず、観客に考える余裕がある。
「まるで、インドネシアにいる事を忘れた」と、こっちの日本人がいい感想を言ってくれた。コンテンポラリーダンスが遅れているこの国では、下手なグループよりも、ガラシーの方が、よっぽどコンテンポラリーである。なので、観客の中には、全部の動きを演出家のYudiが付けたのかとさえ思う人がいる。それ位、計算されつくしてるし、役者の動きに無駄がないし効果的。しかし、全部の動きは役者の中から出てきているものなので、稽古が長いのも当たり前。ただ、その動きのイメージの幅の広さと、Yudiの選択の仕方には、驚くばかりだが。
やりたい事が盛り沢山過ぎ・優しいがゆえに役者のイメージをなるべく使おうとして、おなか一杯な感はどうしても否めないが(こんなとこも流山児さんみたいっしょ?)、兎に角パワフル!!!!!
本当に参加出来て良かったと、今でも感謝。
でも、びっくりするのは、舞台で使う小道具やら、セットの精密さ。インドネシア人は手先が器用だし、何でも作れる。その中で使ってる、レールの上を走らせてる物体があるのだが、これまたグロくて素敵。
今回テーマの1つとして、「通過」というのがあるので、舞台を1週するように鉄のレールがひかれてる。その上を亀やら(ヒンドウー教では性の象徴)、汽車やら、人やらが走る。そしてこの物体も走る。(写真右下)兎に角、こんなにスタッフが優秀なのも、他に類をみないね~。。。
そんな中、舞踏の和栗さんが、こっちの子達を使って、ワークショップを行い、その公演を14日に行った。舞踊・パントマイム・役者のそれぞれの分野から数人づつ参加して、約1週間で作品を作ってた。
メイクをとった和栗さんは本当に素敵な人でした。とっても穏やかだし、かっこ良い!!!ジョグジャ最後の夜は、遅くまで飲みました。
ガラシーの子達も、過去のワークショップに参加してるので、和栗さんと皆仲しいし。その中でも、私が1番好きな役者のウウングと座長のYudiの1ショット。(写真左下)何だかもう酔ってるから、Yudiものすごい顔になってるが、普段はかっこ良いですよ。
終わってホッとする間もなく、昨日スタッフと荷物たちは、ジャカルタに出発しました。
27日&28日はジャカルタのArt Summit参加です。29日の朝にはシンガポールに出発です。
旧国会議事堂付近で開かれる、フェステイバルに招待されてるのです。1日から3日までノンストップで何かが催されてるという大きなフェステイバル。この稽古は昨日ちょこっとした程度。。。。Waktu Batu3をやる訳ではなく、WaktuBatuのこの3年間のプロセスを見せるので、これまたどうなる事やら。。。。
TOMOの8月日記
寒い。熱帯の国に居て、何を言うかってかんじでしょうが、本当に朝・晩は寒い。稽古帰りなんかは、寒がりの私は、4枚着込んでバイク飛ばしてます。
雨季はじめじめしているけど、乾季は本当にからっとしている。日中も日差しの暑さだけなので、ちょっと日陰にはいると涼しい。過ごしやすい。。。。思ってたより寒いけど。
果物は雨季の方が豊富だし、安いけど、消えていたマンゴーも戻ってきたし、嬉しい限り。今はクレンケンという果物が旬。いたる所に、クレンケンを山積みにしたトラックが現れ、計り売りしている。そんなおいしい果物に囲まれての生活は本当に幸せ。100%ジュースは何処でも飲めるもの。冷野菜をあんまり取れないので、ビタミンC補給にはもっぱら果物。そんな中、稽古はほぼ毎日続いてます。欠けていた1人の役者も無事、スペインでの公演が終了し戻って来たので、はれて役者10人全員そろっての稽古が開始。
12日から14日まではキャンプも有り、泊り込みで朝から夜中まで稽古。勿論スタッフも。座長のユデイーいわく、公演の為の稽古だけだったら、1ヶ月もあれば充分だけど、それ以上の可能性を試すには長い時間が必要。役者の可能性・音楽の可能性・照明の可能性。。。。。そして、時間をかける1番の理由はチームが強固になれる。同じ御飯食べて、一緒に水浴びして。。。一緒にいる時間が長いからより深い関係になれる。
。。。。。これって正に、昔のアングラ芝居時代の演劇でないかい??? 事務所も入った当初はこんな匂いに満ち溢れていたし。国が変わっても、やっぱりこういう所に引き寄せられてしまう。。。。キャンプの目的は、実際の稽古以外にもう1つあって、最終日に、この作品が生まれた場所である、candi sukuh(スクー寺院)と candi ceto(チュト寺院・写真左下)に行く事。ここからwakutu batuは始まったのである。第1弾2002年にも、皆で来たらしいが、もう一度そこに立ち返ろうという事。
歴史・建造物・空気・匂い・環境・手触り。。。。何だか少しは近づけた気がする。台本には書けないものに。体に染み込ませるという作業として、稽古場が変わったり、何処かへ行くと必ずやるのだが、1番奥の場所から、全員目をつぶったまま、入口の門まで行くのである。記憶と、体の感触のみで、到達しなければならない。かなり、危険も伴ってるが(何人か落ちたりしてるし。決して平坦な道ではないですよ〜。チュトの写真で分かると思うけど)、後々までも体の記憶は残る。
両寺院とも、ヒンズー教である。沢山のレリーフの中には、マハーバーラタ・ラーマヤナにも出てくるワヤンのキャラクターも沢山出てくる。確かに、みんなの創ってきた、1弾・2弾の作品観ると、ここから発生されたであろうイメージが沢山あった。更にここは性的な意味合いが多く含まれてる寺院でも有り、至る所に性器を彷彿させる物がある。
人間らしい。。。。。一言で表すならばこの言葉が1番当てはまるかな。。。。欲求はもっとも基本のものだが、それを抑える理性があるから人間と言えるのであって、その欲求を抑える為に宗教があったりして。。。
頻繁に、インドネシア人は人間らしく生活出来ていると感じる。その1つに子供が多いという事。これはもっとも、人間らしく生活出来ている証拠ではないだろうか。日増しに子供をつくれなくなっている日本人と比較すると、より感じる。
キャンプも無事終了し、稽古は日常に。そんな中、合間をぬって、ボロブドウール(仏教)にも行ったりしながら、インドネシア。。。というよりジョグジャカルタの歴史を肌で感じながら生活するようにしている。(写真右下。ボロブドウール頂上より日没を望む。)
それというのも、本来なら研修期間は1年であって、9月の3日に研修員としての立場は終了なのです。そう思うと、今まで当たり前に生活して触れていた物が全て大事な物に思えてきて、まだ滞在しているというのに、感無量になったりして。かなり重病です。。。。。
何て感傷に浸ってる場合では無いことが!! 9月の27日&28日のジャカルタでの公演が終了した翌日29日にシンガポールに出発して、10月の2日&3日に行われるフェステイバルに参加する事に。稽古は現場でのみ。waktu batu3で参加する訳ではないし、時間もない。。。。またしてもどうなることやら。。。。
相変わらず気が抜けない。
来月は本番だあ!!!
TOMOの7月日記
はー。まだ、生存出来てて良かった。
今月から、9月にジャカルタで行われる(2年に1回?4年に1回?)大きなフェステイバル、Art Samitへの参加作品「WAKTU BATU3(ワクトウ バトウ テイガ)」の稽古再開!!!
Art Samitには沢山の外国の劇団が参加する。日本もしかり。黒テントは2000年に。今年はDAMと踊りの団体の計2団体。DAMの大橋さんとメールでやりとりしているが、どうやら会えなさそう。。。DAMが帰国した後、ガラシーはジャカルタ入り。。。入れ違い。
ガラシーも急に、ジャカルタの前に、ここジョグジャでの公演が決まったし。。。。この作品、名前の通り、第3弾という事で、あしかけ3年に渡る作品。更に、私以外はスタッフ含め全部同じメンバー。
なかなか、私が出れるかどうかは、決定されなかったし、ここまで来てもまだ確認はしていないが、どう考えても出れるらしい。私が入り込んでるシーンもすでに創り始めてるし。。。うひひ。
演出家のユデイ1人の判断では私が出れるかは決定出来なくて、役者以外のメンバーでしょっちゅう集まって、スタッフ会議をしていた。
かなり長い間、多くの人に観られた結果、出す事になったらしい。どれだけ身体が動くか。。。言葉のハンデが大きい分、反応はどうか。。。私を敢えて出す意味は何か。。。。
「やってみな」といつも言われていたが、それがすでに観られていたとは。。。今思うと怖い。ガムシャラにやってて良かった。ここでは、演出家が一番の決定権を持ってるわけではなく、スタッフもすごく強力。勿論大きな力を司ってるのは、演出家だが、役者が作る前に、すでに、照明・音響・舞台。。。そういったもののコンセプトがしっかりある。勿論現在は、役者が入った日々の稽古で、毎日流動しているが。
私も参加していた、4月の稽古で創ったモチーフも取り入れたりしながら、かなり長い時間をかけて創っていく。台詞もあるのだが、始めは、シーンを連想しての身体言葉のみで、構築していく。この作業は役者だけでは無く、舞台クルー・音響・照明・衣装も同時作業。まだまだ何も出来てない段階から、かなり沢山の人で稽古場は埋め尽くされている。役者はイメージを色々な所からもらうのだ。自分だけで創りあげるのではなく、動きが作り出される為には、環境の要素は思っている以上に大事。
その中で、面白い表現があったら取り入れていく。群像芝居をユデイが紡いでいく感じ。連想しての身体言葉。。。といっても、必ずしも直接的では無いので、何故そんな事を???みたいな驚きの連続。改めて、彼らの発想力の豊かさに圧倒されつつも、日本人のともが感じた事を大事にして、理解不足な事も自覚しながら、勘違いしながら稽古に参加してる。
とは言ってもまだまだ台本全部を理解している訳ではないので、ほんと〜に大変〜。この台本、インドネシア人が見ても難しいらしいし。まるで詩のよう。暗喩が多い。話もジャワ人の歴史だし。。。ただ身体使うだけならともかく、頭が痛いです。。。。
ガラシーの稽古場は小さいので、大きい所を借りて稽古。(写真左下)裏の川で水浴びしたりして、自然一杯の場所。男達はすっぱだかで。女達も、パンツ一丁で一緒に入ったりしてる。何処からも丸見えの場所。勿論!!ただの川だもの。(ホモのスタッフは大喜びで覗いてる。)
自然から力もらって、稽古にまた生かしてる。何て贅沢。ここ、実は来てすぐに、踊り明かした場所なのよねー。何だか原点に戻った感じ。
それにしても、ユデイは流山児さんを彷彿させる。稽古が上手く進んでないと、雄たけびあげたり、、物にあたったり。。。。「芝居はまだ終わってない!!!」がガラシーのモットーだし。テロリストではないけど、影響を与えつづけたいと、模索しているし。無理な事ばかりさせるし。スタッフも無理難題ばっかりふっかけられてるし。
熱い演劇人は何処へ行っても同じなのねん。だから、彼らの周りには多くの人が集まってくる。吸引力かな。。。困らせられてばかりだけど、惹かれる。。。。。
そうか!!!ユデイも流山児さんもガンジャ(大麻)なのね!!!もしくはかっぱえびせん。1度はまったら、やめられない。
こんな中、私の気分転換は、TARI(タリ 伝統舞踊)を観る事。1人でしょっちゅう、プランバナン遺跡で行われる、ラーマヤナ叙事詩を元にした公演観にいったり、近くの踊りの学校で開かれる公演観に行ったり。バイクぶっとばして楽しい、楽しい。
先日、ジョグジャで1番由緒正しい伝統舞踊観に行ったら、何だか日本人の団体が。熱心に見てるなあ〜と思ったら、劇団四季の人たち。9月にジャワを舞台にした公演をやるらしく、その調査とか。
やっぱり、今熱いね〜インドネシア。曽我さんも来てたし。とは言っても、ここでは全然ニュースにもなってなくて(家にはテレビないが。。。)、いたって静か。ジャカルタでも同じ状況だったとか。急に日本からのメールが増えて、何故???と思ったら、皆、曽我さん情報。いやはや。。。
そうだ。最近、Teater RUANG(テアトル ルアン)に遊びに行きました。ジョグジャからバイクで2時間くらいのSOLO(ソロ)の町のはずれ。この劇団、以前にSTORE HOUSE主催のフィジカル シアター フェステイバルに参加した事のある、いたって肉体派の劇団。ヤギも飼ってるし。稽古や公演は屋外が多いし。(写真右下)
やっぱりインドネシアは素敵です。
TOMOの6月日記
やって来ました!!!!6月3日!!!!!
スラバヤというインドネシア第二の大都市で行われた「Festival Seni Surabaya 2004」に招待されている私達は、2日の昼に車で出発。7人という最小人数での参加。役者3人・ステージマネージャー・照明・音響・演出。
途中道に迷ったりした為に、8時間もかかっての到着。インドネシア人は地図を持ってない。というか、地図が読めない。そんな状況で、ちゃんと到着出来る事の方が、奇跡に思えるが。。。表示が沢山ある訳でも無し、道が簡単な訳でも無し。。。。彼らの動物的感性は日常から培われているのね。
このFstival、かなり大きな規模で、1日から15日までの期間に、8部門のSeni(芸術)が毎日行われてる。踊り・芝居・音楽・文学・フィルム・市場・文化・造形から、沢山の団体・人が招待されていた。初日には、日本でも有名なサルドノさんの久しぶりのダンス公演があったりして。
早速準備。の前に、用意してくれたホテルに行き、お決まりのマンデイ。必ず、シャワーをあびる時間は設けられるのです。御飯食べて、作戦会議して、いざ劇場入り。フラットな舞台に、リノリウムだけが引いてある状態。客席はひな壇になっている。思っていたよりもかなり広い。
セットがある訳ではないので、役者の大体の動きの範囲を決めて、役者はホテルに戻り、休息。この時すでに夜中の1時。照明・音響は、演出家とともに、朝の5時まで舞台作り。昼頃から、照明・音響入りで、稽古。5時からリハーサル。8時本番。
過密なスケジュールは日本も一緒だけれども、違う所は、本番前に皆ちゃんとマンデイする所。役者は1番大事にされてかなりいい状態。(写真左下)
tentang seorang lelaki yang demikian mencintai hujan (雨に魅せられている、ある男について) これが今回のタイトル。芝居は35分程度。7時半開場のはずが、外にはすでに溢れんばかりの客。客。客。その為か、私達には何も知らされずに早目に開場。照明も音響もまだマンデイしていて、劇場に戻ってきていない。急いで呼び出して準備。まあ、こんな事もすでに慣れっこ。無理矢理詰め込んで500人位入ったかな?でも500人位入れなかった。。。。チケットの段階で、何とか処理出来るでしょうというのは、無理な相談で、こんな事も日常。
終了後、片づけて夜中の12時頃、帰路。運転出来る子が1人なので、彼は辛かっただろに。。。。朝7時頃劇団に到着。兎に角無事に終わってよかった。。。。
インドネシアに惹かれた一番の理由の、身体言葉の芝居にこんなに早く出れるなんて、本当に感謝。感謝。感謝。
ガラシーは忙しい。次の日から、27日&28日の公演「fire flies」の稽古が開始。hujanを演出していた子と、役者で出ていた子の1人はこれにも参加している為、休み無し。可哀想なのか、羨ましいのか。。。この作品、2月に私が出た作品「kunang-kunang」と同じ台本。鈴江さんの本を2劇団が料理したのです。
kamiは、環境を全て変えて、自分達也の解釈・インドネシア人ならではの解釈に変えての上演。garasiは、ほぼ元の台本のまま、台本の解釈に近づくようにして上演。全く相反するアプローチで興味深かった。一番のお気に入りのinyong(イニョン)です。
鐘下辰男さんの「寒花」をTeater TETAS (テアトル トウタス) が上演。これを観に、皆が稽古している中、私はjakartaに行ったりして、これまた忙しかった。学校が休みに入ったので、飛行機の安いのが、なかなか取れず。。。。しかも、取れたが、飛行機が来なくて飛ばなかっり。。。。こんな事もすでに慣れっこ。こんな事で怒っていたらここでは暮らしていけません。時間かかっても、私はやっぱり電車が1番いい。出発しない事はないので。
2日間の本番は、これまた入れない人が続出の大盛況。私は受付をやらせてもらえた。言葉が上手くない私だが、既に沢山の人が私の事を知ってくれているので、いい宣伝になってた。。。かな?ジョグジャは小さい町なので。。。。
振り返ってみると、芝居しかない1ヵ月だったなあ。。。さあ、来月からはまたまた恐怖の稽古が再開します。9月の公演に出してもらえますように。。。。
TOMOの5月日記
大変ー!!!! 急展開!!!!!
今月はゆっくり出来る月間。。。。なはずだったが、そんな場合ではなくなったのだ!!!
私の参加している劇団、「Teater GARASI(テアトル ガラシー)」が、6月の3日に、ここジョグジャカルタから、電車で5時間位の大きな都市、スラバヤのフェステイバルに招待されていて、その演目は「Repertoar Hujan(雨)」に決定していた。
この作品再再演で、3人芝居。台詞は一切無しの、身体言葉のみというハードな作品で、以前にビデオ見せてもらったが、すごく面白かった。だが今回、1人の子が現在海外公演に参加している為に参加出来ない。という事で、急遽5月3日にオーデイションが行われた。勿論私も参加。そして、な、な、な、なんと。私に決定したのです。体力・身体能力・バランス等色々な条件のもと、言語にまだ支障がある事を承知で選んでくれたのです。いくら、芝居で言葉がないと言っても、稽古には言葉は必要。更に3人で逃げ場が無い。稽古も1ヵ月。!!!!こりゃ大変な事になった!!!! 更に、評判のいい作品なので、「私が参加した事で、作品がつまらなくなったらどうしよう」というプレッシャー。作品ばかりで無く、腰掛とはいえ、ガラシーの劇団員として出演するのだから、そのプレッシャーも。
本格的にこの劇団に参加してから、まだ1ヶ月なのに、仲間として認めてくれている事には素直に感謝。。。。。しかし、ガラシーも思い切ったね。。。。。
演出のChindil(チンデイル)は、材料として、詩を与えてくれる。そこから、イメージを作っていく。材料は雨・水・詩。(稽古風景写真左下)稽古はきつい、きつい。この作品に参加している役者は、もはや人間ではない。動物なみの運動能力を持っているので、まず同じメニューをこなすだけで、大変。何回地獄を見た事か。。。。しかし、これはまだ地獄の入り口だった。。。。
時間が無いという事で、前回の作品のモチーフを真似る所から始まった。。。。。これがすでに、尋常でない動きが多いのだが、それと平行して、私が参加した事もあって、もう一度、水やバナナの木からインスピレーションをもらい、感じた事を形にする稽古も。毎日ずぶぬれになって稽古。
始めは、前回の作品にとらわれすぎて、なかなか上手くいかず、ただの真似にすぎなかったが、段々自由になって、新たなストーリーがうまれた。私にとっては、「バナナの木」は日常では無いし、必然的にジャワ人ではないので、多くの要素が変化した。
この作品、「変化」というのがすごく多きなポイントになっている。欲望が過大になった時・感情が飽和した時。人間は変化する。その要素を全て雨・水からもらうのだ。探すといったらいいのか。。。熱帯の国における雨季。。。。。自分は雨の時何を感じて、何を思うか。。。。
この劇団の素晴らしい所は、どんなに差し迫っても、まず3時間はみっちり体力トレーニングをする。その後に公演の為の稽古に入る。こういう日々のトレーニングの賜物なのね、彼らの身体は。まだ完全でない私は相変わらず、全身あざだらけ。。。。治る暇を与えてもらえない。そんな中、5月30日に、稽古場で公演が催された。パントマイムに参加していた子の演目・劇団員が定期的に行ってるモノローグ・アチェの音楽。そして、私達のデモンストレーション。盛り沢山の公演だったが、こういう形で頻繁に小さい公演を公でやっているという贅沢さ。。。。敬服です。
こんな忙しい事になってしまった私ですが、5月は素晴らしいお客さんがいらっしゃいました。事務所に出てもらった事のある小須田さんです!!!!急にお休みが取れたという事で、インドネシアに来てくれたのです!!!!!1週間の滞在でしたが、本当に嬉しかった。
本来ならずっと色々な所に連れまわそうと思っていたのだが、稽古になってしまったので、午前中行動して、午後から稽古というハードなスケジュールになってしまったが、それよりも楽しかった。私だけかな????
そして、この期間に、これまたな、な、な、なんと。事務所にはすでに馴染みの、名古屋の少年王者館の天野天街さんと、小熊さんが来インドネシアしたのです!!!
世界遺跡プランバナンで、満月の前後4日間だけしか行われない演目が、ちょうどぶつかったので、私と小須田さんが観にいった同じ日に彼らも観に来てて、プランバナンで再開という、何ともロマンチストな出会いをしたのです。
勿論、ガラシーにも来てもらいました。彼らのプロジェクト、クダン・プロジェクトの公演の為の調査だったらしいのですが、何と言う偶然。何故今、インドネシアに皆目を向け始めたのか。。。。私は先見の目があったという事かな?ムフ。
通訳で案内してくれた方の穴場スポットで(ただの路上)、怪しい甘いお酒を飲んだりして。(写真右下)
何はともあれ、私の大好きなインドネシアに、多くの人が興味を持ってくれるのは嬉しい反面、悲しい。私だけの物にしたかったのに。。。。
さあ、来月はとうとう本番!!!!!頑張るしかないでしょう!!!!! スラバヤに行って来ます!!!
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